礼拝説教
2004年5月2日
「牧師のつとめ」
使徒20:17-38
 教会にいて様々な働きをしている牧師といわれる教職者の主な働きは何でしょうか。 パウロが第3回伝道旅行(AD53-56ごろ)の終わり近く、エペソの長老たちをミレトという港町に呼び寄せて、その長老たち(今日の牧師たち)に大切なつとめを語りました。それは3つあります。

 I. 人々に福音を語り、救いに導くこと
 パウロは、自分自身の生き方、人々への愛を具体的に示しながら彼らを教えましたが(19-29)、中でもすべての人々に「神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰」とをはっきりと主張しました(21)。牧師の第1のつとめは礼拝のメッセージやその他の集会において十字架の福音を語り、人々を救いに導くことです。福音を聞いた人たちが悔い改めて、主イエスを信じるならば、それはすばらしいことで、みことばと聖霊がともに働いた結果 といえるでしょう。

 II. 聖書全体を余すところなく知らせること
 パウロは、エペソの長老たちを始め、すべての人々に「神のご計画の全体を、余すところなく・・・知らせておいたから」、すべての人たちが受けるさばきについて責任がない、と言い切っています(26-27)。神のご計画は、天地創造から始まって主イエス・キリストの再臨によって実現される新天新地までの一切を含むと考えられるので、まさに聖書全体を教えることが牧師の大切な役割と言えます。また、このご計画は「みこころ、み旨」とも訳されるこばですから、神のみこころの全体、結局は聖書全体を教えることが求められています。

 III. 自分自身と群れの全体に気を配ること
 パウロは、28節で教会がどんなにすばらしいものかを明らかにしています。教会とは、神がご自身の血をもって買い取られたものです。神である主イエスが十字架の上で流された血をもって、手に入れてくださったものが教会です。それほど尊い存在の教会を牧させるために、聖霊は長老たち・牧師たちを群れの監督としてお立てになったのです。監督というのは見張る人のことで、群れをよく見張り、治めることがそのつとめです。牧師としての役割はおもに群れをみことばによって養い育てることですが、同じ長老が監督・牧師としての働きをしているのです。

 このような大切な働きに任じられている牧師のつとめは、光栄に富んだものですが、同時に非常に責任あるつとめです。
  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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