礼拝説教
2004年8月22日
「私はクリスチャン」
エペソ2:8-9、ヨハネ12:12-13、ルカ14:25-27

 クリスチャンとは、初代教会時代にアンテオケで、恐らく反対者たちが軽蔑の意を込めてつけたニックネームです。その意味は「キリストに属する者」です。初代教会の信者たちは、周りの人たちから明らかにキリストの弟子、キリストに属する者と見られたのです。ではクリスチャンとは何でしょうか。今朝はその内容を学びましょう。

 第1に、クリスチャンは、恵みによって救われた者です。今日のみことばにあるように、私たちは「恵みのゆえに」(新改訳では、恵みという動機、理由を表わしています。私としては、「恵みという手段によって」の意と考えます。)救われました。恵みは人がもともと受けるに値しないにもかかわらず、神のご一方的なあわれみによって、私たちに差し出されるものです。その恵みは、十字架による救いの手段という具体的な形で表われました。この救いを受けるのに、私たちは何の努力もいりません。ただ救いの道を開いてくださった主イエスを信じればよいのです。私たちは「信仰によって」すなわち信仰を通 して救われるのです。

 第2に、クリスチャンは、神の子どもとされた者です。人がイエスを神の御子、救い主として信じ、受け入れたとき、その人は神の子どもとされます(ヨハネ1:12)。すなわち神の家族の一員となります。私たちが母から生まれたとき、子どもとしてこの世の家族の一員となるように、私たちが新らしく生まれると、神の子どもとして神 の家族の一員となるのです。私たちが新しく生まれたのは、血(親と子の血のつながり)によってではなく、肉の欲求(クリスチャンの子孫を残したいという願い)や人の意欲(ぜひこの子をクリスチャンにしたいという意欲)によってでもなく、ただ神によって生まれたのです。教会は紛れもなく神の家族です。教会には幼子からお年寄りまであらゆる年代層の人たちがいます。互いに愛し合い、助け合い、喜びも悲しみも共にしながら、一生を教会で過ごすことが望まれているのです。

 第3に、クリスチャンはイエス・キリストの弟子です。弟子とは、先生といつも一緒に生活し、先生から学ぶ者です。クリスチャンはキリストの弟子としてキリストから教えと生き方を学び、キリストが歩まれたように歩んでい行く者なのです。また、ほかの誰よりもイエスを主として従っていかなければなりません。そのための困難や迫害に耐えて、すなわち「自分の十字架を負って」主イエスにどこまでも従って行かねばなりません(ルカ14:26-27)。しかしそれはすばらしい栄光の道でもあるのです。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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