礼拝説教
2004年9月5日
「クリスチャンと聖書」
マタイ7章24-27節、Iペテロ1章22節-2章3節

 クリスチャンになると毎日聖書を読むように勧められ、そのように実行している人は多いでしょう。聖書のみことばは、しばしば私たちが毎日食べる食物にたとえられます。私たちは毎日ごはんやパンを食べます。それによって私たちのいのちが支えられ、成長して行きます。もし食事をとることを止めてしまえば、からだは弱ってしまいます。同じように毎日聖書を読まなければ、私たちの霊的ないのちは弱ってしまいます。今日はみことばの持つ力について考えてみましょう。

 I. みことばは私たちを新しく生まれ変わらせます。
 私たちは主イエスをキリスト(救い主)と信じ、告白したとき、私たちは神によって新しく生まれ、神の子どもとされます(ヨハネ1: 12-13)。その新生の事実は、別の見方からすれば、神のことばによるものです。すなわちIペテロ1: 23にあるように、「私たちが新しく生まれたのは、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。」この生けることばは私たちにいのちを与え、成長させます。私たちは今までと違った生き方ができるようになります。そのためには続けて聖書を読まなければなりません。

 II. みことば私たちを成長させ、救いの完成に至らせます。
 どのように聖書を読んだら良いのでしょうか。まず心にある罪と言われるいろいろな思いを捨て、心を主に明け渡して、空っぽにし、「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋なみことばの乳を慕い求め」ることが大切です(2: 2-3)。そうしなければ、みことばは私たちの心に入って行きません。またみことばに期待する気持ちも大切です。みことばは私たちを救う力があるのですから、私たちを成長させ、様々な問題に解決を与えて、主のみこころにかなった正しい道に導いてくれると確信を持つべきです。事実その力があるのです。このような生き方をしている人は、しっかりした岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。私たちの人生には、大雨による洪水とか大風にによる激しい打ち付けなどいろいろな艱難が私たちを襲ってきます。しかし人生の土台を神のことば、聖書に置いていれば、さまざまな困難を乗り切ることができるのです(マタイ7: 24-25)。また人生には、さまざまな間違った教えの風も吹いてきます。それらに惑わされず、しっかりと確信をもって歩むことができる人は成人した人であり、みことばによって成長した人なのです(エペソ4: 14-15)。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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