2005年02月06日
「主イエスの宣教の開始」
ルカの福音書4章13-21節

 主イエスは御父からこの世に遣わされて人となり、およそ30才の時から公に宣教を開始されました。荒野で悪魔の誘惑に会われ、それを退け、御霊の力を帯びてガリラヤに帰られ、会堂で教え、みなの人に崇められました。ついでご自分の故郷ナザレに行き、会堂に入り、手渡されたイザヤ書からご自分について書かれてある箇所を見つけて、お読みになり、解き明かしをされました。主はこのイザヤ書61章1-2節からご自分が救い主としてこの世に来られた目的を明らかにされたのです。この箇所は、50年目ごとにやってくる貧しい人々への配慮、奴隷たちの解放、失われた土地の回復などヨベルの年の祝福が背景にありますが、主イエスによって真の解放がもたらされることを明らかにしたのです。

 I 主は貧しい人々に福音を宣べ伝えるために来られました。
 主イエスは、金持ちではなく貧しい人々に福音を宣べ伝え、罪や悪習慣などのためにがんじがらめにされている人たちを解放し、生まれつき目の見えない人の目を開き、貧しさのゆえに、社会的地位の低さのゆえに虐げられている人々を自由にするために来られたのです。後に明らかになるように主は、貧しい人たちや遊女、取税人、罪人と言った、文字通り最下層の人々の救いのために福音を語り、十字架への道をまっしぐらに進んで行かれました。主はこの目的のために3年間休まずに働かれたのです。

 II 主はさばきのためでなく、恵みの年を知らせるために来られました。
 イザヤ書61章2節にはこう書かれています。「主の恵みの年と、われわれの神の復讐の日を告げ、・・・。」 主イエスは、「われわれの神の復讐の日を」の部分をわざと取り除いて読まれ、「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました」(ルカ4:22)と言われました。確かに主は、神に敵対する人々に復讐するために、人々をさばくために来られたのではありません。人々に恵みの年、救いの日を告げ知らせるための来られたのです。ヨハネの福音書にもこう書いてあります。「神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである」(3:17)。このように救いとさばきとを同時に行うために来られたのではなく、まず人々を救うために来てくださったことを初めて明らかにされたのは、主イエスなのです。今は恵みの時、今は救いの日なのですから、感謝をもって主イエスを信じようではありませんか。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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