2005年7月17日
「あなたの居場所はどこですか」
ルカの福音書15章11-24節

 あなたは「居場所」と言うことばを聞いたことがありますか。居場所の問題は、グループの中であなたがどう感じているか、が鍵となります。例えば、あなたが学校に行くと、何人かの気の合ったお友だちがいて、その中に入って話をしたり、遊んだりします。その時あなたは、みんなといっしょにいることが楽しいと思えるし、自分は決してひとりぼっちではなく、自分が大切にされていると思えるので、あなたはここにいていいんだな、と思います。あなたの居場所はそのグループの中にあると言えます。でも時には、あなたの居場所はそのグループの中にはないと思えるかも知れません。けさは私たちがよく知っている「放蕩息子」のお話から居場所のことを考えて見ましょう。

 I. 「放蕩息子」は父の家に自分の居場所を見つけられませんでした。
 ふたり息子の弟の方は、おとうさんと一緒に住んでいたとき、なに不自由のない生活をしていたに違いありません。しかし、自分勝手にできないので窮屈と思ったのでしょう。おとうさんの家には自分の居場所はないと思いました。おとうさんにお願いして前もって財産の分け前をもらいました。お兄さんの分け前の半分でしたが、決して小さなお金ではなかったはずです。間もなく弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立ってしまいました。おとうさんの手の届かないところに行けば、お金も自由に使えるので、愉快な友だちもすぐできるから、きっと楽しい生活ができると考えたに違いありません。弟は、遠い異国の町で持ってきたお金を悪い遊びのためにどんどん使って、なくなってしまいました。今までちやほやしてくれていた友だちはみな彼から去ってしましました。悪い友だちとのグループの中には本当の居場所はなかったのです。

 II. 「放蕩息子」は、遠い国で父の家に自分の居場所があることに気づきました。
 何もかも使い果たし、その地にききんが起きて、食べることにも事欠いた弟は、雇われて豚の世話をさせられました。ユダヤ人には豚は汚れた動物だから、豚の世話をさせられることとは、実に恥ずかしいことでした。豚のえさでおなかを満たしたと思っていたとき、ふと我に返りました。おとうさんの家を思い出したのです。「おとうさんのところには、雇い人でさえあり余るほどのパンがあるのに、自分はここで飢え死にしそうだ。そうだ、おとうさんのところに帰ろう。そして神様とおとうさんにおわびをしよう。」そう決心した息子は父の家に帰って行きました。彼が自分の罪をみな言わないうちに、おとうさんは息子を受け入れ、家でお祝いの宴会をしてくれました。彼の居場所は父の家にあったのです。息子はおとうさんから本当に愛されていることに気がつき、お兄さんを除き、家の者たちからも受け入れられました。もうひとりぼっちではありません。彼は自分の「居場所」を再発見したのです。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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