2005年7月31日
「イエスは本当に約束のメシヤか」
ルカの福音書7章18-23節

 主イエスがユダヤ人にとって2000年間待ち望んでいた、約束のメシヤであるかどうか、ということは大変重要な問題でした。イエスを神の小羊と指し示すことのできたただ一人の預言者のバプテスマのヨハネは、初めはイエスを約束のメシヤと思っていました。しかし、国主ヘロデによって獄に捕らえられてから、その確信が少しぐらついたようです。ヨハネに対する主イエスのお答えから大切なメシヤ像について学びましょう。

 I. イエスはさばくために来られたのではない?
 獄中からヨハネは、弟子たちを主イエスのところに遣わして、こう言わせました。「おいでになるはずの方はあなたですか。それとも、私たちはほかの方を待つべきでしょうか」(19節)。この質問の意味はこうです。「あなたは私たちが待ち望んでいたメシヤその方でしょうか。それとも私たちはもうひとりほかの方を待つべきなのでしょうか。」ヨハネが疑問に思った理由を考えてみましょう。彼は主イエスがなさった多くのみわざ、数々の教えを自分の弟子たちから聞きました(18節)。ごく最近イエスは百人隊長のしもべの重いやまいをいやし、ナインの町のやもめのひとり息子を死から生き返らせています(10,14-15節)。さらに同じ頃、イエスは、多くの人々を病気と苦しみと悪霊からいやし、また多くの盲人を見えるようにされました(21節)。このようなイエスは、ヨハネが待ち望んでいたメシヤ像と違っていたのです。ヨハネは、メシヤは救いと同時にさばきを行う方だ、と思っていたようです。ヨハネは人々に悔い改めのバプテスマを説きました。悔い改めてそれにふさわしい実を結ぶ人たちは、それでよいが、悔い改めない人々はすぐにもさばかれると説きました(3:7-17)。しかし、ヘロデを初め、多くの悪人たちにいっこうにさばきが下らないのはどうしたことか、とヨハネは疑問に思ったのです。

 II. イエスは人々を救うために来られた。
 イエスのお答えは次の通りでした。「あなたがたは(ヨハネの弟子たち)行って、自分たちの見たり、聞いたりしたことをヨハネに報告しなさい。目の見えない者が見、足のなえた者が歩き、ツァラアトに冒された者がきよめられ、耳の聞こえない者が聞き、死人が生き返り、貧しい者たちに福音が宣べ伝えられている。だれでもわたしにつまずかない者は幸いです」(22-23節、第3版)。このようなメシヤ像は、主が公の宣教を開始された時に、解き明かされたことでもあります(4:16-22)。主イエスは確かに救い主としてさばき主としてこの世に来られたのです。しかしまず救い主として来られました。さばき主とした来られるのは、この世の終わりの時、主の再臨の時です。主の願いは、多くの人々が救い主である主イエスを信じて、救われることです。ヨハネ3:17、Iテモテ1:15の通りです。主イエスを信じましょう。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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