2005年9月25日
「信仰そして主イエスのいやし」
ルカの福音書8章40〜56節

 教会にもまたそれぞれの家族にも、現在病気や体調を崩している方々がおられます。私たちは主のいやしを御前に祈り求め、また薬や医療機関に頼ります。幸い多くの場合、病はいやされます。主イエスは私たちの病をどのように見て、どのように扱われるのでしょうか。二人の女性のいやしから学びましょう。

 I. 信仰を持って病を主イエスのもとに持っていこう。
 二人の女性にはそれぞれ特色があります。一人は会堂管理者ヤイロの一人娘で12歳になります。この愛してやまない娘が思い病気で死にかけていました。父親はイエスの足下にひれ伏して自分の家に来てくださいとお願いしました(41節)。ところが群衆に妨げられて主はなかなかヤイロの家に行けませんでした。途中でもう一人の女性に会いました。彼女は12年間も長血をわずらっており、これまでだれにも直してもらえませんでした(43節、マルコ5:26参照)。モーセの律法によっても人前に出ることがはばかれて、長い間非常な痛みに苦しみ、かつ肩身の狭い思いをしてきたことでしょう(レビ15:25-30)。だから隠れるようにしてイエスのうしろに近寄って、イエスの着物のふさにさわりました。すると、たちどころに出血が止まったのです(44節)。ヤイロにしてもこの女性にしても重い病を主イエスの御許に持っていきました。私たちも常にさまざまな病気や問題を主の御前に持っていきましょう。

 II. 主イエスは最もふさわしい仕方でいやしてくださる。
 長血をわずらっていた女性は、こっそりと主にさわっていやしていただき、人に知られないで静かに去ろうとしていました。しかしそれは主のみこころではなかったのです。彼女は一部始終をうち明けました(47節)。主のおことばはこうでした。「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して行きなさい。」(48節) 一方会堂管理者はどんなにやきもきしたことでしょう。彼にとって自分の娘がどうなるかだけしか眼中になかったはずです。最悪の知らせが届きました(49節)。しかしイエスのおことばは常識を越えています。「恐れないで、だだ信じなさい。そうすれば娘は直ります。」(50節)。周りにいる人々の思いに反して、「子どもよ。起きなさい」のおことばによって、娘は直ちに起きあがったのです(54-55節)。病のいやしというより死から生き返ったのです。どのような場合にも主はすべてを公平に見ておられて、それぞれに最もふさわしい仕方で解決を与えてくださるのです。主に信頼しましょう。
  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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