2006年02月12日
「あなたの隣り人はだれですか」
ルカの福音書10章25〜37節
 自分の親しい家族や友人が病気やけがなどで困っているとき、だれでもできる限り助けたいと思うでしょう。でも見ず知らずの人に対して同じように手助けをするかというと、それはなかなかむずかしいことです。では、イエスさまはどのように教えておられるのでしょうか。「よきサマリヤ人」として有名な箇所から学びましょう。

 I. だれが私の隣り人ですか。
 ある律法の専門家が、立ち上がって主イエスに質問しました。「先生。何をしたら永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか。」(25節) 大切な質問ですが、この学者はむしろ主イエスをためそうとして言ったのです。聖書に関しては多くの知識があるので、返事の仕方によっては、主をやりこめるつもりだったのでしょう。イエスの問い(26節)に対しての彼の答えは正しいのもでした(27節)。それは、主イエスが言われた、旧約聖書全体を要約する大切な戒めと同じだからです(マタイ22:37-40参照)。しかし主は、不思議なことを言われました。「そのとおりです。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」(28節) しかし、主が言われ、さらに後になってパウロが教えている真理は、永遠のいのちは、何か良い行いをすることによって得られるのではなく、ただ主イエスを信じる信仰によって与えられる、というものです(ヨハネ5:24、ガラテヤ2:16ほか)。しかし律法の専門家の関心は別の所にありました。自分はこれらの律法をみな行っており、「隣り人」には、いつもできるだけの援助をしているので、自分の正しさを示そうとして、「では、私の隣り人とは、だれのことですか。」と尋ねたのです(29節)。

 II. だれが隣り人になりましたか。
 そこで主イエスは、エリコに下る道で強盗に襲われて、着物をはぎ取られ、半殺しにあって、道ばたに倒れていた旅人の話をしました(30-35節)。祭司やレビ人がたまたまそこを通りかかりましたが、彼らは旅人を助けませんでした。関わりたくなかったのです。ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼を見てかわいそうに思い、手当をし、自分の家畜に乗せ、宿屋まで連れて行き、手厚く介抱しました。さらにデナリ二つを取り出して、宿屋の主人に渡し、介抱を依頼し、もっと費用がかかったら、帰りに払うと約束しました。主の律法の専門家に対する質問と、彼の答えは「今日のみことば」の通りです。大切なのは、同胞であるからとか、同じ場所に住んでいるから「隣り人である」のではなく、だれであっても、助けを必要としている人に、手をさしのべて、手助けをする「隣り人になる」ことです。ユダヤ人からは、軽蔑され、つきあいを拒まれていたサマリヤ人が、強盗に襲われて、助けを求めていたユダヤ人の隣り人になったのです。同じように私たちも、誰であれ助けを必要としている人の隣り人になりたいと思います。
  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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