2006年02月26日
「主との交わりか奉仕か」
ルカの福音書 10章38〜42節
 多くの家庭で見られることですが、お客さんを食事に招くことは、一家の主婦にとってそんなに楽なことではありません。いやむしろかなり周到な準備の上、当日ごちそうをテーブルの上に揃えるまで、忙しく料理作りに精を出さなければならないでしょう。さらにせっかく来てくださったお客さんと、ゆっくりお話ができないのが主婦の実情かもしれません。イエスさまをもてなしたマルタとマリヤの姉妹の対照的な振る舞いから、ご一緒に学びましょう。

 I. 私たちは、いつもいろいろな奉仕で忙しい。
 主イエスと弟子たちの一行は、「ある村」(38節、エルサレムからほど近いベタニヤ)に入りました。そこにはマルタ、マリヤ、ラザロの3兄弟の家があり、主イエスは喜んで迎え入れられました。主婦役を務めていたと思われるマルタは、主をもてなすためにいろいろと準備に忙しく、気が落ち着かなかったようです。一方マリヤは主の足下に座って、みことばに聞き入っていました(39節)。主とマリヤの様子を見て、恐らくいらいらしていたマルタは、みもとに来て言いました。「主よ。妹が私だけにおもてなしをさせているのを何ともお思いにならないのでしょうか。私の手伝いをするように、妹におっしゃってください。」(40節) マルタは、何の手伝いもせずに主イエスの話にじっと聞き入っているマリヤに腹を立てたようです。その上、それを許しておられるイエスさまにも、気が利かないと少し腹を立てたようです。マルタの姿は、主のために忙しく奉仕しているクリスチャンの姿と重なるようです。私たちは、奉仕をしながら、時にはいらいらして気が落ち着かず、あまり奉仕をしていないと思われる他の教会員に、不平を言ってしまいがちです。

 II. 私たちの、ただ一つ必要なことは、みことばに耳を傾けること。
 今日のみことばにあるように、主イエスは、私たちにとってただ一つ必要なことは、マリヤの模範を見習うことだと、教えておられるようです。主イエスはマルタを叱っているのではありません。しかし主のためのもてなし--それはさまざまの奉仕と考えられます--のために、忙しく働き過ぎて、主との静かな交わりの時間も持てなければ、いらいらしていまい、主と他の人たちに文句を言うようになってしまうと、警告しているようです。もちろん主ための奉仕がどうでもいいとか、常に後回しでいいとか言っているのではありません。まず第一に必要なことは主イエスのおことばに耳を傾けることです。毎日聖書から教えられることでしょう。主婦や忙しく働いている人は、時には学生も、時間的に忙しくなかなか静まる時が持てないかも知れません。しかし、一日の内でどこかで静かな時間を取りたいものです。主はそれを一番望んでおられるのです。もう少し広く考えれば、さまざまな奉仕よりも礼拝を守ることがまず優先すべき「良いほう」と考えられます。マリヤに見習いましょう。
  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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