2006年03月05日
「熱心な祈り」
ルカの福音書 11章5〜13節
 小さな子どもが何か買ってほしいとき、お父さんやお母さんにそれを買ってくれるようにしつこく願うでしょう。親たちは当然のことながら、何でもほいほいと買い与えることはしません。それが子どもにとって本当に必要なものかどうかをよく考えつつ、最も良い時期に買い与えるに違いありません。両親は子どもを愛しており、良く知っているので、何が一番良いことなのか常に考えているからです。主イエスは、弟子たちに祈りの仕方に続いて(1-4節)、熱心に祈ることの大切さを教えられました。

 I. 私たちは熱心に祈り求めるべきです。
 主イエスはたとえ話を取り上げて話し出しました。旅の途中で友人がたまたま訪ねて来たとき、彼の所には食べさせるパンがありませんでした。真夜中の出来事ですから、どうすることもできず、彼は近所の友人の所に行って、パンを3つ貸してくれと頼みます。頼まれた友人はどう答えたでしょう(7節)。確かに寝てしまった今、わざわざ起きてパンを取り出し、その人に貸してあげることは面倒なことです。しかし主イエスが言われるように、友だちだからというのではなく、彼がしつこく頼み続けるならば、そのために起きあがって必要なものを与えるでしょう(8節)。それと同じことが私たちの父なる神様への祈りに当てはまるのです。主は、私たちに熱心に祈り求めることを命じておられます(9節)。「求めなさい」、「捜しなさい」、「たたきなさい」は別々のことというより、祈り求め続けることの大切さを教えておられるのです。

 II. 御父は祈りに必ず答えてくださいます。
 主イエスは、御父が必ず私たちの祈り求めに答えた下さることを、父親が子どもの願い求めに、必ず必要なものを与えるはず、と具体的な例を引いて教えておられます(11-12節)。確かにパンの代わりに石を(異本)、魚の代わりに蛇を、卵の代わりにさそりを与える父親がいるはずがありません。親が愛するわが子に役に立たないものや害を与える物を与えるはずがありません。まして天の父なる神は、求める者に最良のものを--その代表が聖霊です--下さらないはずがありません(13節)。この節に「あなたがたも、悪い者ではあっても」とありますが、皮肉というより事実でしょう。しかしあまりに本質をついているので、うなずく他はありません。主イエスは私たちに、熱心に、しつこいくらいの祈り、願いを御父にするように教えておられます。そのような祈りは必ず聞かれるのです。しかし、多くの場合私たちは簡単にあきらめてしまいがちです。祈り続けましょう。答えられるまで。
  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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