2006年04月30日
「主の再臨に備える」
ルカの福音書12章35-48節
 主イエスが再び来られる(再臨)ことについては、クリスチャンは誰も疑う人はいないでしょう。確かに主はいつか必ず来られるのです。しかし、ともすれば私たちは、その日がずっと先のことであって、今の私たちの生活とは関係がないのではないかと思い勝ちです。しかし、主イエスは「いつも目をさましていなさい」と言っておられます。今日は主の再臨に備えることの大切さについて学びましょう。

 I. 主がいつ来られても良いように、目をさましている。
 主イエスは、ご自分が不意に再臨される様子を、主人が婚礼から帰って来て、戸をたたくたとえで語っておられます。当時の婚礼では、花婿は婚礼の宴会を1週間くらい行ってから、不意に帰って来ました。それが真夜中のこともあれば、明け方近くのこともありました。主人の帰りを待ち受けているしもべは、いつも眠らないで、目を覚ましていなくてはなりません。それも寝間着姿ではなく、旅に出たり、戦いに出かけたりすることができるような身支度をして(「腰に帯をして、あかりをともして」35節)待つのです。主イエスが再び来られるときも、その日、その時はわかりません。だから、目を覚ましていなければならないのです。では、目をさましているとは、どういうことでしょうか。
 第一は、主イエスの再臨について聖書全体から正しく学んで、教理的にしっかりと武装することでしょう。さまざまな異端といわれる宗教は、みな「再臨」を強調し、善良なクリスチャンを惑わそうとしています。
 第二は、主の再臨をいつも念頭に置きながら、与えられたつとめを毎日しっかりと果たしつつ、生きることです。

 II. 主が来られるまで、与えられたつとめを忠実に果たしている。
 次いで主イエスは、ペテロの質問に答える形で、弟子たちや今日の教会の指導者たちの果たすべきつとめについて教えられます。この第2のたとえにある、「その家のしもべたちを任されて、食事時には彼らに食べ物を与える忠実な賢い管理人」(42節)が、今日の牧師や伝道師たちを指し、「家のしもべたち」は一般の教会員を指しています。牧師は、教会員に霊的な食べ物であるみことばによって教え、彼らを霊的に養い、その成長を助けます。教会員をこのように霊的に十分にお世話をする牧師は、「忠実で思慮深い管理人」で、主人である主イエスが帰ってきたとき、全財産を任せられるようになります(44節)。これは、恐らく天の御国における栄光あるつとめを指していると言えるでしょう(19:12-19参照)。主はこのように言ってくださいます。「よくやった。良いしもべだ。あなたはほんの小さな事にも忠実だったから、十の町を支配する者になりなさい。」(17節) 一方悪い管理人もいます。彼らは自分に与えられた特権を濫用して、しもべたちを利用して自分のために働かせ、食べたり飲んだり、酒に酔ったりして、この世の人たちと同じように生活して、しもべたちを霊的に養いません。このような人たちは主からきびしく罰せられます(44-47節)。主から祝福されるようにいつも再臨に備えましょう。
  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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