ファミリー礼拝 2006年07月23日
「この世の人たちの学ぶ」
ルカ16:1-13

 クリスチャンがこの世の人たちに学ぶべき事があるでしょうか。沢山あると思いますが、中でもこの世の人たちの一所懸命に仕事をする姿に見習う点があると思います。弟子たちに対して主イエスが話された今日の聖書の箇所は、一見して不正なやり方を勧めているように感じられますが、本当のところはどうでしょうか。

 I. この世の人たちは小さい事に忠実です。
 金持ちのもとで働いていた管理人は、主人の財産を濫費するという失敗をして、解雇されることが決まりました(2節)。会計の報告を出すように言われ、債務者たちの借金の証文を書き換えさせようとしました。こうしておけば、管理の仕事を辞めさせられても、恩を売った人たちに迎えれるかも知れないと、考えたのです(4節)。「油100バテ」の借りのあった人には、50と書くように言いました。随分と安くしたと思われますが、実は当時の油の取引のために借りると、利子は80パーセント,リスクは20パーセント取られたようです。それだけオリーブの先物取引はリスクが大きく、また金持ちには大もうけの魅力があったのです。「小麦100コル」の場合は80コルにさせましたが、小麦の場合のリスクは小さく、20パーセントの利子と5パーセントのリスクを合わせて25パーセントだったようです。つまり、二人とも利子とリスクをまるまるゼロにしてやったのです。いつも律法に反して高利をむさぼっていた主人は、こうされても文句が言えず、不正な管理人が抜け目なくやったことをほめたのです(8節、レビ16:35-37参照)。確かにこの世の子らは、光の子ら(クリスチャン)よりもはるかに熱心に抜け目なく生きているかも知れません。

 II. クリスチャンは、小さい事にも、大きい事にも忠実でなければなりません。
 9節をどう考えたら良いでしょうか。「不正な富」とは、この世の富のことです。お金を中心に才能や地位、学歴、人脈などこの世的に誇れるものを指しているのでしょう。クリスチャンもそれらを賢く用いて、自分のために友を作れ、と言われるのです。その友とはクリスチャンと言えます。この世の富を用いて、クリスチャンは、人々を信仰に導き、彼らの霊的な成長のためにいろいろと尽くしてあげれば、やがて永遠の住まいに迎えられるのです。「小さい事」は、この世での富の管理、運営、「大きい事」は、霊的なことや永遠のいのちに関わる仕事と考えられます(10節)。それは「まことの富」です。お金は、大切なものです。「不正な富」すなわちこの世の富に忠実であることがまず、求められます。そして主の働きのための献金の取り扱いにも同じように忠実さが求められます。しかし、お金に支配されてはなりません。お金がこの世の神となっては、真の神への信仰からはずれてしまいます。この世の神に仕えるのではなく、真の神にのみ仕えるのです(13節)。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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