ファミリー礼拝 2006年07月30日
「死後に備える」
ルカの福音書16章19〜31節

 私たちは死んだらどこへ行くのでしょうか。誰でも関心があるはずですが、多くの人は死と死後の世界についてあまり考えたくありません。この世にあるさまざまな宗教は、みな死後の世界を教えています。例えばヒンズー教は輪廻転生の考えから、人は前世、現世、来世にわたって、死と再生を繰り返すと教えています。その際、常に善因善果、悪因悪果の因果応報の理法が支配します。しかし、聖書は全く違う死後の世界を描いています。それを主イエスはわかりやすいたとえで教えてくださいます。

 . 人は誰でも死んで天国かハデスに行きます。
 よく言われることですが、人に平等に与えられているのは、時間と死です。どんなに金持ちで、権力があっても、人は必ず死にます。死の原因は人の罪にあります。人は罪を持っており、罪を犯していますから、死ぬのです(創世3:17-19、ローマ5:12)。貧乏人で全身におできができていたラザロは、死んでアブラハムのふところ(天国)に連れて行かれました(22節)。一方金持ちは死んで盛大なお葬式をしてもらい、天国ではなく、ハデス(黄泉)に行きました。ラザロが天国に行ったのは、神への信仰と感謝の気持ちがあったためと思われます。しかし、金持ちには、信仰も貧しい人々への愛やあわれみの思いもなく、毎日贅沢三昧の生活をしていたため、ハデスに行ったと思われます。このように人は誰でも死にますが、死んでから行くところは、生前中の生き方によって決まるのです。だから、どう生きるかが大切です。

 . 聖書の教えに耳を傾け、主を恐れて生きなければなりません。
 ラザロはアブラハムのふところ(天国)で神の祝福と慰めを受けています。一方金持ちはハデスで、もう炎とのどの渇きの苦しみが始まっています(24節)。互いを見ることができますが、決して互いに行き来できません(26節)。金持ちは、自分のことは仕方ないにしても、5人の兄弟たちがこんな苦しみの場所に来ることのないように、ラザロを父の家に送ってください、とアブラハムにお願いします(27-28節)しかし、アブラハムの答えはどうでしたか(29節)。金持ちは、「もし、だれかが死んだ者の中から彼らのところに行ってやったら、彼らは悔い改めるに違いありません」と言い張りました(30節)。あなたももっともだと思いますか。しかし、アブラハムの答えはさらにはっきりしています(31節)。私たちにとって必要なのは、聖書であり、主イエスの教えです。主は天国から来られた方であり、十字架にかかって死んで、ハデスでの苦しみを経験され、よみがえられてから再び天国に行かれました。だから、主イエスの言われることは真実なのです。聖書を読み、主イエスを信じ、死後に備えましょう。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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