2006年08月13日
「主のための奉仕」
ルカの福音書 17章5〜10節

 私たちは毎週教会に集い、父なる神と御子イエスに礼拝をささげています。この礼拝のために多くの兄弟姉妹がさまざまな奉仕をしています。週報のプログラムに名前が載っている奉仕のほかに、陰で行ういわば縁の下の力持ちのような奉仕もあります。私たちは奉仕をどのように考え、評価したら良いのでしょうか。主イエスの教えに耳を傾けましょう。

 I. 奉仕は主がお命じになったことをすることです。
 主イエスのたとえに出てくる「耕作か羊飼いをするしもべ」は、弟子たちが所有するしもべであり、主人は弟子たちです。しかし最終的には主人は主イエスであり、しもべは弟子たちです。主人はしもべになすべき仕事を与えています。「耕作や羊飼い」は、生活のための仕事を指してはいますが、しもべがしなければならない仕事です。主のしもべとしての私たちは、それぞれの仕事や勉強とともに教会でなすべき奉仕があります。それらはみな自分勝手にするというのではなく、主が命じたものです。牧師、役員、教会員を問わず、最終的にはさまざまな仕事や奉仕は、主イエスが命じておられることに気がつきます。確かに、アダムに与えられた仕事も、主なる神が命じたことで、園を耕し、守ることでした(創世記2:15)。また、パウロが勧めている奉仕も、主から命じられていると言えます。「私たちは、与えられて恵みに従って、異なった賜物を持っているので、その信仰に応じて預言しなさい。」(ローマ12:6) 私たちに賜物を与えてくださったお方は主であり、その賜物を用いて、私たちは主のために奉仕をするのです。

 II. だから、奉仕を誇ってはなりません。
 このたとえにあるしもべが仕事から帰ってきたときに、主人から労のねぎらいと感謝の表明がないのを(7、9節)、不満に思うでしょうか。しもべは暑い日の中、朝から晩まで汗水たらして主人のために懸命に働いたはずです。主人はこう言います。「かえって、『私の食事の用意をし、帯を締めて私の食事が済むまで給仕しなさい。あとで、自分の食事をしなさい』と言わないでしょうか。」(8節) ここで私たちはもう一度、私たちに与えられた恵みの数々を思い起こさなければならないでしょう。ルカのこの箇所の少し前から、主イエスは、私たちへの恵みを教えておられます。私たちは、到底払えきれない負債(罪)を赦していただいたので、兄弟の罪を赦すことができます(3-4節、マタイ18:21-35参照)。神を信じ、神にどこまでも信頼する信仰も与えられました(5-6節)。聖書全体の教えを一言でまとめれば、私たちは主によって救われ、主のものとされ、それぞれに賜物を与えられました。主のしもべである私たちは、喜んで主から命じられたことをして、決して誇らないでしょう。むしろ「今日のみことば」(10節)も通りのことを言うべきなのです。そして、それこそすばらしい特権であり、恵みなのです。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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