2006年11月26日
「神を恐れるか、人を恐れるか」
ルカの福音書 20章1〜8節

 私たち人間は、一人だけで生きているのではなく、人と人との関係の中で生きています。人々との間が平和で、互いにいたわり合う、楽しい関係であればすばらしいことですが、現実はしばしば違います。私たちに敵対し、時には害を与えようとする人々もいるでしょう。主イエスの時代、ユダヤ人の指導者たちは主を憎んでおり、殺そうと思っていました。彼らは勇気のある人たちだったでしょうか。一方主イエスはどうだったでしょうか。
 I. ユダヤ人たちは人々を恐れていました。
 主イエスはエルサレムに入城してから、宮に入られました。宮では礼拝にために鳩を売る商人や両替人が商売をしていたので、主は彼らをみな宮から追い出し、こう言われました。「わたしの家は、祈りの家でなければならない。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にした。」(19:46、またマタイ21:12参照) 祭司長を初め律法学者、民の長老たちは彼らが宮で商売をすることを許し、利益を得ていたのです。そこで、宮で民衆に教えておられた主イエスに対し、彼ら指導者たちは結託して、2節の質問をしたのです。彼らは真理を知りたいのではなく、イエスを困らせようとしたのです。主は答える代わりに、彼らに質問をされました。「ヨハネのバプテスマは、天から来たのですか、人から出たのですか。」(4節) 彼らは返事に窮してしまいました(5-6節)。 彼らは何と不自由な生き方をしてることでしょう。彼らはバプテスマのヨハネを真の預言者と信じていません。しかし、そうとは言えません。民衆が怖いからです。人を恐れると正しい行動ができません。「今日のみことば」箴言29:25のとおりです。
 II. 主イエスは人の誰をも恐れませんでした。
 主イエスが父なる御父から一切の権限を与えられているので、父の家でもあり(ルカ2:49)、ご自身のからだでもある神殿(ヨハネ2:21)をきよめる権威を持っておられるのは当然です。御父とともに天地万物を創造されたお方は、私たち人間をも創られました。そして私たちを罪から救うことのできるお方です。だから主は、人として来られても、その語ることばに権威があり、奇蹟を行うことができたのです。その方が人々を恐れて、本心に反する行動を取るはずがありません。最初から最後まで終始、御父のみこころのままに行動されました(ヨハネ6:38、17:4)。では、主イエスを信じている私たちはどのように行動したら良いのでしょうか。主の弟子として神のみを恐れ、人々を恐れないことです。初代教会の指導者となった主の弟子たちは、人々を恐れませんでした。使徒4:19-20参照。私たちも主から力をいただいて神をのみ恐れて、主のみこころのままに歩みたいものです。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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