2007年01月14日
「イエス・キリストはどういうお方か」
ルカ20:9-18

 イエス・キリストがどういうお方かは、2000年の歴史の中で多くの人々に問われた問題でしょう。一番最初に本当の意味でイエスを救い主と信じ従ったのは、使徒といわれる弟子たちが中心でした。その後、弟子たちの宣教によって、福音はユダヤから地の果てにまで及び、今日世界中の多くの人々がクリスチャンになっています。でもすべての人が信じているわけではありません。イエスさまの本当のお姿についてたとえから学びましょう。

 I. イエスはユダヤ人の指導者から見捨てられた石
 主イエスは、直ぐ前の聖書の箇所からわかるように、ご自分が御父から権威を授けられているお方であることを、祭司長、律法学者、長老たちに明らかにしませんでした(20:2,8)。次いで、今度は民衆にこのたとえを話されました。たとえに出てくる「ある人、ぶどう園の主人」は御父であり、「ぶどう園」は、イスラエルを指し、同時に神の国を指しています。「農夫たち」はイスラエルの宗教的指導者たち、「しもべ」は3人出てきますが、旧約時代の預言者たち、主人の「愛する息子」は神の御子イエス・キリストを指しています。御父は神の国の管理をユダヤ人の指導者に任せましたが、ぶどう園の実である、悔い改め、信仰、従順などの成果を見るために、預言者たちを遣わしましたが、3人とも袋だたきにしたり、はずかしめたり、傷を負わせたりして、預言者のメッセージに耳を傾けようとしませんでした。最後に主人の「愛する息子」であるイエス・キリストを送りましたが、敬うどころか、殺してしまい、イスラエルの民を自分たちの意のままに支配しようとしました。このように主イエスは、ユダヤ人の指導者たちから見捨てられた石なのです(17節)。

 II. イエスはご自分を信じない人々をさばく礎の石
 ぶどう園の主人は愛する息子を殺されてどうするでしょう。16節は文字通りに考えれば随分きびしい刑罰を科すことになりますが、実際はイエスは死んで3日目によみがえり、神の国は広がって行きます。主イエスを信じないユダヤ人の指導者たちからは、神の国は取り去られ、悔い改め・信仰という神の国の実を結ぶ国民である教会に与えられるのです(マタイ21:43参照)。初代教会の発足とその進展からわかるように、神の国に入ったのは、イエスを救い主と信じる人たちで、ユダヤ人もいましたが、やがて多くの異邦人がその主要なメンバーになりました。主イエスは、家を建てる者たちであるユダヤ人の指導者たちから見捨てられた石でしたが、実は教会という建物の中でもっとも重要な礎の石となりました。「あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。」(エペソ2:20)と書かれてある通りです(Iペテロ2:4も参照)。このお方は救い主であり、同時に終わりの時のさばき主でもあるのです。この方を心から信じ、感謝と畏れをもって従って行きましょう。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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