2007年02月18日
「再びいじめ問題を考える」
イザヤ書 43章1〜7節

 学校におけるいじめ問題は、大きなニュースになってもならなくても決してなくなりません。いじめを苦にして若い自らのいのちを絶つという痛ましい事件が起きると、新聞やテレビは大きく取り上げますが、いつの間にか忘れられ、人々の話題にならなくなります。確かに文部科学省も教育委員会も学校の先生方もみな、いじめは悪いことであり、なくそうとしています。でも、何か最も大切なことが抜けているように思います。それは何でしょう。聖書から学びましょう。

 I. 神さまは私たちを造ってくださいました。
 「今日のみことば」にあるように、神さまは「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」と言ってくださいます(4節)。神さまがそう言ってくださるのですから、こんなに価値あることばは他にありません。人間のことばでも、「私はあなたを愛しています。あなたは私にとってかけがえのない人です」と言われたらどんなに嬉しいでしょう。神さまは絶対的なお方です。そのお方のことばですから、どんなに私たちを励まし、勇気づけることでしょう。私たちが尊い存在である理由は、第一に、神さまが私たちを創造してくださったからです。神さまは「わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った」と言われます(7節)。神さまは私たち人間を神さまの栄光を現すために造られました。だから尊い存在なのです。神さまは私たち人間を神さまを知り、信じ、親しくお話ができるように造ってくださいました。だから、他のあらゆる生き物と違って、いのちが尊いのです。決していのちを無駄にしてはならないのです。

 II. 神さまは私たちを贖ってくださいました。
 イスラエルの民はまことの神さまを忘れ、偶像を拝み、やがて神さまの怒りを受けて、バビロンに連れて行かれ、奴隷にされてしまいます。バビロンで70年間つらい苦しい生活をしなければならなくなりますが、その後解放されてユダヤに戻ることができます。それを「贖う」というのです。神さまは、かつてイスラエルの民をエジプトの奴隷の状態から贖ってくださいました。では現在の私たちをも神さまは贖ってくださるでしょうか。主イエス・キリストの十字架を見てください。イエスさまは、十字架にかかってくださり、私たちを罪の奴隷の状態から贖ってくださいました。どうしてでしょうか。私たちがかけがえのない尊い存在だからです。イエスさまは、いじめに会って苦しんでいるお友だちのためにも死んでくださいました。いじめられているお友だちのいのちは尊いのです。イエスさまはまた、いじめている人のためにも死んでくださいました。その人が救われて、神さまの愛を知り、お友だちを愛する者へと変えられるためです。幼い子どもたちからお年寄りまで、人はだれでも「わたしの目には、あなたは高価で尊い」存在なのです。
 私たちの人生にはさまざまな困難が伴います。しかしその困難な中を過ぎるときも、神さまがいつもともにいてくださいます(2節)。だからどんな時にも安心していていいのです。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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