2007年09月09日

「イエスの死と埋葬」
ルカの福音書 23章44〜56節
 私たちが月に一度唱和する「使徒信条」に、「主は・・・ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ・・・」とあります。確かに主イエスは死んで後、埋葬されました。今日は死と埋葬に焦点を合わせて学んでみましょう。

I. 主イエスの死と埋葬は、十字架のみわざの完成を示しています。
 主イエスは金曜日の朝9時に十字架にかかられ、午後3時には死なれたことがわかります(44-46節)。12時ごろから3時まであたり一面真っ暗になりましたが、それは主イエスが私たちの身代わりとなって罪を負い、御父から刑罰を受けた時と考えられます。その身代わりの死を御父が受け入れてくださって、私たちが御父のみもとに行くことができる道が開かれました。それは、これまで大祭司が年に一度だけ至聖所に入ることが許されましたが、聖所と至聖所とを隔てていた幕が真っ二つに裂けたことによって、実現したのです(45節、ヘブル9:11-12参照)。主イエスの埋葬は、サンヘドリン議会の議員の一人、アリマタヤのヨセフとニコデモによって執り行われました(50-53節、ヨハネ19:38-42)。主が埋葬されたことは、イエスの死が真実であって、いわゆる仮死状態で墓に納められたのでないことを示しています。実は主イエスの死と埋葬は、罪を持った古い私たちの性質(肉といわれるもの)が死んだことを意味します。「今日のみことば」のとおりに、以前の、古い私たちはキリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。古い自分に死んだ私たちは、キリストのよみがえりとともに、新しい歩みを始めます(ローマ6:4)。主イエスは確かに死なれたのです。

II. 主イエスの死と埋葬は、私たちが従うべき歩みの模範です。
 主イエスの十字架による死を最後まで見届けたのは、ローマの百人隊長でした。彼は神をほめたたえて、「ほんとうに、この人は正しい方であった」と言いました(47節)。百人隊長は主イエスが罪がなく、正しい方であったと確信し、告白したした。その後の彼の人生は大きく変えられたことでしょう。アリマタヤのヨセフやニコデモもユダヤ人を恐れない勇敢な人に変えられました。このように主イエスの死は多くの人々の人生を変えたのです。主は従順に御父のご命令に最後まで従われました(气yテロ2:21、ピリピ2:5-8参照)。このように主イエスの死は私たちを勇気づけ、大胆に人々にイエスをあかしするように導きます。主は聖霊によってその力を与えるのです。また従順に最後の最後まで従う力をも与えてくださるのです。ペテロやパウロなど主の弟子たちは、生涯主に従いました。確かに主の模範は私たちにとってあまりに高すぎます。到底見習うことができないほど遠くにあります。でも一歩から始めましょう。主からその力を与えられて、生涯主に従って行きましょう。
  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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