礼拝説教

2007年11月11日

「祈りによる備え」
使徒の働き 1章12〜14節
 私たちには何かをする前に祈るという特権が与えられています。学生や生徒にとって勉強と試験は避けられないつとめでしょうが、勉強の前や試験の前に祈ることができます。でも、祈ったからと言って、飛躍的に勉強の能率が上がったり、試験の点数が今までよりずっと上がるということはあまり期待できないかも知れません。クリスチャンの祈りがいわゆる御利益を生むためであったなら、多分祈りの効果はないでしょう。しかし、祈りは勉強を好きにさせたり、試験場で十分に実力が発揮できるようにさせてくれる効果はかなりな程度あるでしょう。祈りは私たちをあらゆることにおいて、備えさせる働きをするからです。

 I. 弟子たちは主イエスを信じるようになりました。
 主イエスが天に上られる前に、弟子たちにお命じになったことは、「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい」ということでした。その父の約束とは、間もなく弟子たちが聖霊のバプテスマを受けるというものでした。そう命じられた主イエスは、オリーブ山から弟子たちの前で天に上って行かれました。弟子たちはエルサレムに戻り、彼らを中心として他の弟子たちも泊まっていた大きな家の屋上の間に集まりました。彼らの中にはこれまで共にしてきた婦人たちやイエスの母マリヤやイエスの兄弟たちがいました。今までは主イエスを救い主と信じることができなかった身内の人たちも、十字架の死を経てよみがえられた主にお会いし、心を開いて、信じるようになったのでしょう。まだ、約束の聖霊をいただいてないから、十分な形では信じられなかったかも知れません。でも、以前のような不信仰は取り去られたのです(ヨハネ7:3-5参照)。それほど死からのよみがえりの効果は大きかったのです。主イエスが言われた通りです(16:22-23参照)。

 II 弟子たちは一同に集まって祈りに専念しました。
 彼らが集まったのは、ほかならぬ祈りのためです。それもみなで集まって心を合わせ祈りに専念するためです。約束の聖霊をいただくには祈りの備えが必要でした。いまだ誰も「聖霊のバプテスマ」をいただいておりません。始めての経験です。彼らにできることは、祈りによって、聖霊を受けた時に、それが間違いなく約束の聖霊だと確信することでした。だからこそ祈りが必要だったのです。しかし、私たちも何か重要な働きを始めるとするならばやはり、祈りによる備えが必要です。例えば私たちが誰かを宣教師に選び、海外に派遣するとか、会堂を新しく建設するとか、何かの大切な働きを始めるときには、みなで心を合わせて祈ることが大切です。その時、主は聖霊によって間違いのない道を示し、道を開いてくださるでしょう。その上でみなで行動を開始するのです。物事を始める前に祈りますが、祈りが祈りだけで終わることはありません。祈りには必ず行動が伴います。祈りの中で何をすべきか示されますから、行動が始まるのです。
  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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