礼拝説教

2007年12月30日

「真偽が試された年」
ヨハネの手紙 第一 1章5〜10節
 今年もあと1日だけを残すのみとなりました。この1年間わが国においても世界においてもいろいろな事件や事故が起きました。ニュースが次から次へと起きるので、記憶にとどめることが困難なほどです。そういう中で今年は食品不正問題がこれまでになくわが国のあちこちで明るみに出て、食の安全に対して警鐘を鳴らした年でもありました。私たちがよく食べるハンバーガーやコロッケに入っている牛肉100パーセントが、ほかの肉も混じっていただろうし、高級な比内地鶏もごくごくふつうの鶏だったたかも知れないのでした。みな「偽り」の食品表示で一致しています。しかし、実は私たちも、自分自身の信仰との関わりで、聖書から真実なものと偽りなものとを見分ける必要があります。

 I. 私たちは光の中を歩んでいるだろうか。
 私たちは主イエスを信じて、御父と御子との交わりに入れられました。神のうちには暗いところ、罪とか不正とか偽りとか言われるものが少しもありません(5節)。だから私たちキリスト者が、神と交わりがあると言っていながら、やみの中を歩んでいるとするならば、私たちは偽りを言っているのであって、真理を行ってはいないのです(6節)。キリスト者のしるしは、罪を犯し続けないことです。また罪を犯し続けることができません。その人は聖霊によって新しくされ、いのちが与えられ、みことばがその人のうちにとどまっているからです(3:6,9参照)。このように罪や不正や偽りの行為を続けることは、真のキリスト者とはいえないのです。幸い、キリスト者が食品不正問題に深く関わっていたというニュースは聞いていません。それらはクリスチャンが関わっては、いけない罪だからです。

 II. 私たちは罪はないと言ってはいないだろうか。
 一方聖書は、誰でも罪はない、罪を犯したことがないと言ってはいけない、と教えています(8,10節)。8節の「罪」は単数形なので、原罪のことを言っていると考えられます。私たちの周りにある宗教で、人間には本来罪はない、と主張する人々がいます。キリスト教の異端と言われる人たちの中にも、人には罪も、病気もない、と言い張る人たちがいます。しかし、これは間違っています。もし、そういう人がいるなら、それは自分を欺いており、真理はその人のうちにないのです(8節)。自分が自分自身を一番よく知っているからです。また、キリスト者になって、罪を犯したことがないと言う人も間違っています。それはもっと悪い結果を生みます。そう主張するならば、「私たちは神を偽り者とするのです。神のみことばは私たちのうちにありません」(10節)。神がみことばをもって教えておられる真理に反することだからです。これまで多くの人たちが食品不正問題が明るみに出たとき、公の場で頭を下げて謝りました。しかし、中には自分たちの不正をなかなか認めない人々もいました。早く多くの人々が神を知り、神を恐れる者となってほしいものです。
  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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