礼拝説教

2008年3月9日

「誰に聞き従うべきか」
使徒の働き4章13-22節
 わが国においては、信教の自由が与えられているために、福音を語ることを禁止されることはまずありませんが、今日でも、例えば中国では、自由に福音を語ったり、伝道できない場合が多いのです。政府公認の教会では、礼拝が自由にできますが、そこには私たちに与えられている、聖書についての完全な自由はありません。しかし、そのような中でいのちをかけて福音を語り、伝道する人たちが大勢います。初代教会においても、使徒たちは「イエスの名によって語ることを」議会によって禁じられました。

 I. この世の指導者たちは、自分たちに聞き従わせようとする。
 議会で証言しているペテロとヨハネは、祭司長たちやパリサイ人、長老たちからなる議員たちから見れば、特別な教育を受けていない、「無学な、普通の人」でした。しかし、彼らはイエスの弟子でした。議員たちも二人がイエスとともにいたことを、認めないわけには行きませんでした(13節)。弟子たちは主イエスから、十分な教育と訓練を受けていたので、なすべきこと、語るべきことを十分わきまえていたのです。その上、いやされた人が二人といっしょに立っていたのですから、返すことばもありませんでした(14節)。生まれつきの足なえの人をいやしたという事実は、どんな権力をもってしても、消すことができません。彼らのできることは、「これ以上民の間に広がらないために、今後だれにもこの名によって語ってはならない」ときびしく戒め、命じることでした(17-18節)。この世の権力者は、使徒たちが語っていることが、真実であるかどうかを確かめることをしません。福音を自由に語られると、イエスを信じる人々が大勢起こされて、自分たちの立場が危うくなることを恐れるのです。何よりも自己保全を第一に考えます。

 II. イエスの弟子たちは、神に聞き従うことを選び取る。
 しかし、ペテロとヨハネの答えは、明白でした。「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください。私たちは、自分の見たこと、また、聞いたことを、話さないわけにはいきません」(19-20節)と言い切りました。使徒たちは、主イエスから直接教えをいただき、主の数々のみわざと十字架を目撃し、特に復活の証人ですから、福音宣教のご命令に従わないわけには行きません。今日の私たちキリスト者についても同じです。私たちは主イエスの十字架と復活のみわざによって、救いをいただきました。私たちに与えられた務めは、まだ主イエスを知らない人々に福音を語り、自らの体験をあかしすることです。それによって人々が救われますし、私たちがしていることは、神の前に正しいことであると確信しています。だから、たといこの世の権力者が主イエスを宣べ伝えることを禁止しても、聞き従う必要はないのです。彼らの言うことが間違っているからです。ただ、それには勇気が要ります。主からその力も与えられるように祈らなければなりません。主はその勇気、力をも与えてくださるのです(マタイ10:16-20参照)
  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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