礼拝説教

2008年6月1日

「偽証による攻撃に勝利する」
使徒の働き 6章8〜15節
 今日わが国においては、主イエスの十字架と復活を人々に語っても、まず迫害を受けることはありませんが、昔はそうではありませんでした。例えば、キリスト教が解禁された明治時代の初め頃は、キリスト者は様々な迫害や嫌がらせを覚悟しなければなりませんでした。「耶蘇教」ということばがその事実を物語っています。しかし、初代教会において、使徒たちを初め弟子たちが福音を語ることは、命がけだったのです。

 I. ステパノは知恵と御霊によって福音を語った。
 7人の執事に選ばれたステパノは、「御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人」であり、「信仰と聖霊とに満ちた」人でした(3、5節)。彼は使徒たちを助けるために食卓に仕える仕事を与えられていましたが、同時に伝道者としての賜物と使命が与えられて、「恵みと力に満ち、人々の間で、すばらしい不思議なわざとしるしを行って」いました(8節)。彼が「知恵と御霊によって語っていた」ので、彼と議論していた、リベルテンの会堂に属する人々は、彼に対抗することができませんでした(9-10節)。リベルテンとは奴隷から解放されたユダヤ人たちのことで、当時エルサレムなどに会堂を持っていました。彼らは,主イエス時代と同じようにモーセの律法と神殿を第一に重んじていて、その点が福音の中心と対立したのです。しかし、ステパノが御霊と知恵と信仰によって語ったので、それらの欠けている彼らが、ステパノに対抗できるはずがありません。今日でも同じです。私たちが機会を与えられて福音を語ったり、救われた証しをするとき、御霊に導かれ,上から知恵を与えられ、与えられた信仰に根ざしてするのですから、この世の知恵や論理では私たちに対抗できません。私たちは勝利するのです(マタイ10:19-20参照)。

 II. 反対者たちは偽証や迫害することを敢えて行った。
 議論ではステパノに勝てないとわかった彼らは、まず自分たちに加勢する者たちをそそのかして、「私たちは、彼がモーセと神とをけがすことばを語るのを聞いた」と言わせました(11節)。すでに上で触れたように、ユダヤ人たちは何よりもモーセの律法を重んじ、それらを守ることによって、救われると考えました。また、神殿を聖なるものとし、そこにおいてささげるいけにえが依然として有効であると考えていました。だから、主イエスの十字架と復活とによって、救いのみわざが完成し、人はだれであっても信仰によって救われるという福音をどうしても受け入れることができません。こうして彼らは、民衆と長老たちと律法学者たちを煽動し、その数と権力を利用して、ステパノを捕らえ、最高議会に引っ張って行きました(12節)。本来十戒を重んじる彼らが、第十の戒めを破ることができないはずなのに、偽りの証人を立てて、ステパノが言うはずのないことばを彼が言った、と主張させるのです(13-14節)。それはちょうど裁判の席で、ユダヤ人の指導者たちが主イエスを有罪にするために偽りの証人を立てて、偽証させたのと全く同じです(マタイ!26:61参照)。彼らのしたことは敗北です。福音が常に勝利します。主イエスがすでにあらゆる敵に勝利しているのですから、その弟子であるキリスト者たちも勝利するのです(ヨハネ16:33参照)。
  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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