礼拝説教

2008年7月27日

「迫害の中でみことばを宣べ伝える」
使徒の働き8章1〜13節
 人間的な見方からすれば、福音を宣べ伝えるとき、何の障害も問題もないことが、宣べ伝える者にとって望ましいのは言うまでもありません。しかし、神の立場からすれば、必ずしもそうではないのです。初代教会の福音宣教は、むしろ迫害の中で進展して行きました。ステパノの殉教を機に、ユダヤ人たちによる教会への迫害が一挙に激しくなり、使徒たちを除いて、クリスチャンはみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされました。彼らは散らされて行っただけでしょうか。

 I. みことばに耳を傾ける人たちがいる。
 散らされた人々は、みことばを宣べ伝えながら、巡り歩いたのです(1,4節)。執事の一人として選ばれたピリポは、サマリヤに下って行き、人々にキリストを宣べ伝えました(5節)。散らされたからこそ、福音はサマリヤにまで伝えられることになったのです。福音を聞いた人たちは、どう反応したでしょうか。ピリポは、伝道者としての賜物が与えられ、福音を正しく語ることができるとともに、しるしを行うことができました。群衆はピリポの行っていたしるしを見て、彼の語る福音に耳を傾けたのです(6節)。確かにしるしはすばらしいものであり、その町に大きな喜びが起こりました。何しろ汚れた霊につかれた人たちが悪霊から解放され、多くの中風の者たちや足のなえた者たちが直ったからです(7節)。でも大切なことはたましいが救われることです。サマリヤの人たちはピリポが神の国とイエス・キリストを信じて、男も女もバプテスマを受けました(12節)。みことばはたましいを救うことができるのです(ヤコブ1:21)。

 II. しるしにのみ心が引かれる人たちがいる。
 ところが、このサマリヤの町に魔術師がいました。彼の名はシモンと言い、以前から魔術を行って、人々を驚かし、自分は偉大な者だと話していました。魔術は、手品と違って、悪霊と関わりがあると考えられます。悪霊は人間より力がありますから、不思議なわざを行ったり、人々をいやすことさえします。しかし、魔術は人々に幸せをもたらしません。人々は魔術に驚いて、このシモンのように「この人こそ、大能と呼ばれる、神の力だ」(10節)と言うだけです。人々は彼に関心を持つだけです。ピリポが行ったのはそれとは全く違います。ピリポは、伝道者として福音を語ると同時に「しるしとすばらしい奇蹟」(13節)を行ったのです。それは、魔術師シモンを驚かすのに十分な力を持っていました。奇蹟は、福音をより深く人々に浸透させるために、時として神が許されるものです。しかし、その真の目的は、みことばによって聞く者を救うことですから、しるしにだけ目を向けてはいけません。でも、当時も,今日も、しるしや奇蹟にだけ関心を持ち、引かれる人が少なくないことも事実です。気をつけなければなりません。
  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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