礼拝説教

2008年9月14日

「交わりー教会における人間関係」
コリント人への手紙 第一 12章12〜27節
 私たちが教会に集うのは、第一に礼拝をささげるためです。毎週礼拝をおささげすることはクリスチャンの特権であり、つとめであります。また礼拝を中心としながら私たちはさまざまな奉仕をします。
でももう一つ大切なことがあります。それはクリスチャン同士の交わりです。教会に来て、兄弟姉妹と楽しい交わりが得られたとき、私たちはまた教会に行きたいと思うでしょう。そのような交わりは教会の外では得られない、心の奥深いところでの満足を与えるすばらしい交わりです。そのようなクリスチャンの交わり−教会における人間関係の特徴は何でしょうか。

 I. キリストのからだの各器官の交わりです。
 教会は、キリストのからだであり、私たちはそのからだの各器官です。そしてかしらはキリストです(エペソ1:22-23)。主イエスを救い主と信じた者は、キリストのからだの一員とされ、かしらであるキリストを礼拝し、主からいのちと力と恵みをいただきます。そして私たちは互いにすばらしい交わりが与えられます。私たちはキリストのからだである教会の各器官、各部分ですから、互いになくてはならない存在であって、私たちは互いに他の器官を必要としています。各器官はからだの中でそれぞれの働きをしていますが、全体として調和が取れ、互いのために、益となっています(Iコリント12:14-24)。このような関係にある私たちは、いつも他の器官に対して無関心であってはなりません。私たちはいつも他の人たちが働きやすいように配慮し合ったり、どこか傷付いていたり、病んでいたら、自分自身の痛み、苦しみと受け止めています。私たちはひとつのからだの各部分だからです。他の人の喜びは私の喜びであり、他の人の幸せは私の幸せなのです(25-26節)。クリスチャンの交わりは、このように互いになくてはならない関係から生まれて来るものなのです。

 II. 主のみ前に平等な兄弟姉妹の関係の交わりです。
 この世の人間関係は、上下関係、縦の関係、俗なことばで言えば親分・子分の関係です。このことについては、リトリートで具体的に学びます。それに対して教会の人間関係は、それぞれが互いに主の御前に罪赦された、人格をもった平等の関係にあることが特徴です。確かに教会学校で教師と生徒との間には、先生は生徒を教えますから、生徒から尊敬されるべきですが、しかし主の前には平等の関係にあります。それは親と子との間でも同じです。キリスト者の親は一人の人格をもった人間ーしかし、まだいろいろな点で未熟ですから教えられ、養われなくてはなりませんがーとして子どもを扱わなければなりません。同時にしかし、子どもは親を尊敬すべきです。教会においての兄弟姉妹の関係は、人種を越え、国境を越え、年齢を超え、男女の別を越え、さらに職業や社会的地位の違いを越えるのです(ガラテヤ3:27-29参照)。このように教会の交わりは、一人の人格をもったものとして互いに尊敬し合い、いたわり合い、愛し合っている関係なのです。
  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
静岡県富士市今泉2640-15 TEL&FAX:0545-52-6382