礼拝説教

2009年6月21日

「父の思い、息子の思い」
 II サムエル15:1-12

 今日は「父の日」です。お父さんが健在の方は、この機会に、ぜひ感謝の気持ちを表わせるといですね。残念ながらお父さんのおられない方は、お父さんを偲び、神様に感謝してください。また今日は、お父さんと自分との関係を振り返る良い時でもあります。今朝は、ダビデと愛する息子アブシャロムとの関係を見て行きたいと思います。

 I. ダビデは息子の罪に対して正しい罰を与えなかった。
 ダビデ王には多くの妻たちから王子たちが生まれました。長男はアムノン、次男はキルアブ、三男はアブシャロムなど、六男までそれぞれ母親が違っていました(II
サム3:2-5)。長男のアムノンがアブシャロムの美しい妹タマルをだまして辱めたので、その復讐としてアブシャロムは、機会を捕らえてアムノンを殺してしまいました。ダビデはアムノンが犯した罪に対して、激しく怒りました(13:21)。一方アブシャロムがアムノンを殺した時は、ダビデはいつまでもアムノンの死を嘆き悲しみました(13:37)。しかし、共通していることは、ダビデがアムノンをもアブシャロムをも厳しく叱り、かつ正しい罰を与えなかったことです。恐らくかつて自分がウリヤの妻バテシェバと姦淫し、夫ウリヤを戦場で殺させた罪があったからでしょう。もしアムノンを正しく罰していたならば、そしてタマルを懇ろに扱っていたならば、アブシャロムの復讐はなかったかも知れません。また、罪を犯したアブシャロムに対しても、ただ遠ざけているだけでなく(13:38-39)、きびしく罰すると同時に親子の修復を図るべきだったでしょう。アブシャロムは、自分の犯した罪から何の教訓も学びませんでした。これが将来の反乱につながったと考えられます。

 II. ダビデの息子への愛は中途半端であった。
 アブシャロムは、ゲシュルに逃げて3年間は当然としても、エルサレムに戻ることを許されてからの2年間も、ダビデの顔を見ることが許されませんでした(14:24)。二人の間を取り持ったヨアブの努力も、十分な効果がありませんでした(14:1-23)。どうしても父に会って赦しを請いたかったのでしょうか(14:32)、アブシャロムは奇策によってヨアブを動かし、父ダビデに会うことができました。「アブシャロムは王のところに来て、王の前で地にひれ伏して礼をした。王はアブシャロムに口づけした。」(14:33)しかし、王とアブシャロムの間の関係は十分に修復されなかったようです。少なくともアブシャロムは、王から愛されているという実感はなかったようです。一方ダビデは息子を愛していたと思われます。それは、ダビデに反乱を起こし、やがてヨアブによって殺されてしまったアブシャロムを、父ダビデがいたく嘆き悲しんだ様子からも汲み取れます(18:33)。でも遅すぎました。ダビデは、アブシャロムにもっと前から愛を伝え、彼を正しく、時には厳しく育てるべきでした。そうすれば、彼は、父親を心から尊敬し、従って行けたのではないでしょうか。父を裏切ることがどんなに悪いことかを学んだはずです。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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