礼拝説教

2009年10月04日

「主を知り、なすべきことを知る」
使徒の働き 22章1〜16節

 「人生は出会いで決まる」ということばがあるように、私たちはこれまでの人生で様々な人たちと出会い、大きな影響を受けて、今日に至っています。それらの人たちは、両親やきょうだいから始まって、親戚、各学校での先生がたや友だち、会社などの上役や同僚、そして恋人や配偶者などでしょう。でも人生において最も大切な出会いは、主イエス・キリストとの出会いです。パウロのあかしに目を留めてみましょう。

 I. 「主よ。あなたはどなたですか。」
 すでに9章においてパウロが復活の主イエスとお会いして、人生が変わったことを見ています。それはルカの手による客観的な描写ですが、今日の箇所は、エルサレムのユダヤ人の群衆に語ったパウロ自身のあかしです。イエスにお会いする前のパウロ(サウロと呼ばれていました)は、クリスチャンを迫害することがパリサイ人の自分に与えられた使命だと信じて、ダマスコへの道を急いでいました。そのとき、よみがえりの主が、天からまばゆい光でパウロを照らしたのです。彼は地に倒れ、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか」という声を聞きました(7節)。この声が人間のものでないことは明らかなので、彼は、「主よ。あなたはどなたですか」と尋ねました(8節)。主のお答えは、パウロの想像を超えていました(8節)。彼はこれまで、主イエスを神とは思っていませんでした。しかし、ここで彼ははっきりとわかりました。ナザレのイエスは、十字架にかかって死なれたが、よみがえって今も生きておられることです。パウロはナザレのイエスが神であることを信じることになったのです。

 II. 「主よ。私はどうしたらよいのでしょうか。」
 ここでパウロは非常に困惑してしまいました。彼がこれまでクリスチャンを迫害することが、自分に与えられた使命と信じ、迫害者として行動して来たのに、それが全く間違っていたことを知ったからです。「主よ。私はどうしたらよいのでしょうか」という第2の質問はもっともであり、重要且つ適切です。彼は、これからどう生きて行けばよいのかわからなくなってしまいました。主イエスのお答えは、はっきりしていました(10節)。そしてダマスコに行って、敬虔なアナニヤがパウロの所に来てくれて、必要なことを教えてくれました。それは、義なる方、主イエスのために、彼が見たこと聞いたことの証人となることでした。主エスは、迫害者パウロを用いて、特に異邦人に福音を伝える器とされたのです(9:15)。このように主イエスにお会いすると、私たちの人生が一変して、価値観や行動が変わります。だから、私たちもパウロと同じように、「主よ。私はどうしたらよいのでしょうか」と尋ねるべきです。主イエスは、ご自分を知ったすべての人にその人がこれからしなければならないことを的確に示してくださいます。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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