礼拝説教

2009年11月01日

「宗教的な問題がこの世の法廷で裁かれる」
使徒の働き23章23〜35節

 クリスチャンは、地域の教会のメンバーとして、毎週教会に行き、礼拝をおささげします。そして主の恵みと励ましをいただいて、それぞれ与えられた場所に戻り、学びや仕事に励みます。しかし私たちは常にこの世の中で、さまざまな宗教や価値観を持った人々の中で生活をしなければなりません。中にはこの世の訴訟事件に巻き込まれることもあります。パウロは、自らの意志でユダヤ人の法廷以外の場所で裁かれることを願い出たのですが、果たして正しいさばきが行なわれるでしょうか。

 I. この世の人たちは善意に行動する場合が多い。
 千人隊長は(今日の箇所で私たちは彼の名がクラウデオ・ルシヤだと知ります)パウロがユダヤ人たちの襲撃から守られるように、物々しい警備を備えさせて、カイザリヤまで送り届けさせました。たった一人の囚人に対して百人隊長が二人、歩兵200人、騎兵70人、槍兵200人と馬を用意させました(23〜24節)。ローマの市民権を持っているパウロとはいえ、異常な警護のように思いますが、こうすれば安全にパウロはカイザリヤで総督の前に立つことができ、ユダヤ人の陰謀から守られて、裁判を受けられます。パウロは途中アンテパトリスという町まで歩兵に守られて、護送され、そこから騎兵たちの警護のもと、彼も馬でカイザリヤに行ったと思われます。もうユダヤ人からの危険は去ったので、槍兵も歩兵とともにエルサレムに戻ったことでしょう。このように、この世の人たちは善意に行動する場合が多いのです。神が私たち人間をお造りになったので、神のかたちは、なお一般の人たちの中にも残っているのです。

 II. この世の人たちは信仰を十分には理解できない。
 しかし、この世の人たちがすべて正しく考え、正しく行動するとはかぎりません。千人隊長の総督ペリクスあてに書いた手紙の中には、自分に都合の悪いことには触れていません。例えばパウロがローマ市民であることがわかったのは、彼を捕らえてむち打とうとした時だったのですが、そのことは書いてありません。しかし、彼はパウロがどういう理由で訴えられているのかを知ろうとして、議会に双方を出頭させ、ユダヤ人の訴えとパウロの弁明をさせました。その結果、パウロが訴えられているのは、ユダヤ人の律法に関することで、彼に重大な罪はないことがわかった、と記しています(29節)。しかし、千人隊長がユダヤの律法のことをよくわかっているとは言えません。総督のペリクスとて同じです。パウロはユダヤ人を含め、ギリシヤ人やローマ人などまことの神と御子イエス・キリストを知らないこの世の人たちに対して、真理の福音を伝えなければなりません。裁判を司る人たちは、福音を知らず、訴えられているすべてを理解できません。今日でも同じです。しかし、キリスト者は彼らの前で訴えに対し弁明しなければならないのです。実はそれこそが、主イエスが望んでおられることにほかなりません。「今日のみことば」をいつ、どこで実行したらよいか、よく考えてみましょう。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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