礼拝説教

2009年11月15日

「権力者の立場で福音を聞くと」
使徒の働き24章22〜27節

 わが国のごく普通の福音的な教会には、有力な国会議員とか大会社の社長とか社会的に地位の高い、裕福な人は余り来ることがありません。メンバーの多くは、特に権力者でもなく、大金持ちでもなく、学者でもありません。初代教会でもそうでしたし、2000年の教会の歴史の中でも同じだったでしょう。パウロの裁判に関わったローマの総督ペリクスの場合を見てみましょう。

 I. 権力者も福音を聞く。
 カイザリヤで行なわれた裁判で、大祭司側はパウロを告訴し、パウロは弁明しました。しかし、裁判は結審せず、延期となりました。ペリクスはキリスト教について相当詳しい知識を持っていたので、エルサレムでパウロとユダヤ人との論争に関わった千人隊長ルシヤが下って来るまで、事態は進展しないと考えて、そう決めたのです(22節)。結果的には2年間、パウロはカイザリヤで牢に繋がれることになるのですが、ペリクスは百人隊長にパウロを監視させ、ある程度の自由を与え、友人たちがパウロの世話をするのを許しました(23節)。そして、数日後妻のドルシラを連れてきて、パウロを呼び出し、キリスト・イエスを信じる信仰について話を聞きました。パウロの話は、正義と節制とやがて来る審判とを論じたものでした(25節)。それらを、ペリクスはどのように聞いたでしょうか。彼らの期待した内容だったでしょうか。いずれにせよ、世の権力者といわれる人たちも、福音を聞く機会はあるのです。昔も今も、多くの権力者はそれぞれの時期の牧師や伝道師から聖書について聞いているはずです。

 II. 権力者は福音を恐れて身を引く。
 ペリクスは妻とともに、パウロから福音を聞きました。恐らく彼が期待したのは、どんな生活をしていても、神の助けと赦し、あわれみが与えられることだったでしょう。しかし、パウロのメッセージは彼にとって、耳障りなことばかりでした。彼はユダヤ人に恩を売ろうとして、パウロを長い間獄につないでおいたように、「正義」を貫く考えはありませんでした。また、彼は最初の夫からドルシラを奪ったのだから、「節制」のことばを聞きたくなかったでしょう。さらに、これまでの悪事の生活からは「やがて来る審判」は、あってほしくなかったに違いありません。彼は金銭的にも決して淡白ではなく、パウロから金をもらいたい下心があったので、幾度もパウロを呼び出して話し合いました(26節)。彼は権力を持ち、富を持つ現状の生活に満足せず、地位を利用して妻を手に入れ(倫理観の欠如)、さらに金銭欲にも打ち勝てなかったようです。このように世の支配階級にある人たちは、よし教会に来て、福音を聞くことがあったとしても、自らの罪を認め、信仰を告白するに至る人は少ないのです。確かに、昔も今も救われる人の多くは、ごくごく平均的な人なのです。「今日のみことば」の通りです。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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