礼拝説教

2010年1月31日

「誰でも希望的観測を好む」
使徒の働き27節1〜12節

 人は誰でも悲観よりは楽観、失望よりは希望の方を好みます。ですから困難に直面したとき、その事態や原因を客観的に見つめ、具体的な解決の道を探るよりは、何でもいいから困難から脱出したいと思うでしょう。また、できれば困難な状況が、何かの間違いであってほしいとさえ思うかも知れません。ローマに向かったパウロたち一行も困難に遭遇しました。彼はどうしたでしょう。

 I. 希望が先立つ多くの人の考え
 ローマへの旅は長旅です。カイザリヤからシドンを経て、キプロスの北を通り、ルキヤのミラに入港し、船を乗り換えました。パウロを囚人として護送する総指揮官は百人隊長で、パウロの他にルカとアリスタルコも同行しました。すでに航行に適している時期ではなかったせいか、船の進みは遅く、ようやく、クレテ島の南岸の良い港と呼ばれる所に着きました(8節)。かなりの日数が経過しており、断食の季節(今日の10月の贖罪の日に人々は断食しました。レビ16:29〜31参照)も過ぎていたため、もう航行は危険でした。そこでパウロは下に見るように航行しないように注意しました。しかし、百人隊長は、パウロのことばよりも、航海士や船長のほうを信用しました(11節)。また、この港が冬を過ごすのに適したいなかったので、大多数の者の意見は、ここを出帆して、できればクレテの港ピクニスまで行って、そこで冬を過ごしたいということになりました(12節)。確かに一般的に考えても、より快適な方が好ましいし、多くの人はそれを望み、航海の専門家である航海士や船長の意見の方を尊重します。

 II. 現実を直視するパウロの考え
 パウロの意見はこうでした。「皆さん。この航海では、きっと、積み荷や船体だけでなく、私たちの生命にも、危険と大きな損失が及ぶ、と私は考えます。」(10節)
十分考えられることですが、パウロはいつも、御父やイエス・キリストへ熱き祈りをささげていたのですから、彼の考えが主から来ていたことは十分想像できます。パウロは、この航海でいのちの危険にさらされるよりは、快適でなくても、「良い港」で冬を過ごすべき、と主張したのです。確かにパウロは航海の専門家ではなく、一伝道者に過ぎません。多くの人々は、航海のことなら、航海士や船長の方が経験も豊富ですから、難しい選択をする場合でも、間違いがないと、考えることでしょう。そして二つのうちの一つを選ぶ場合、より快適な方を選ぶでしょう。しかし、現実は全く逆の場合が少なくありません。「今日のみことば」(箴言19:21)にあるように、人の心には、多くの計画があり、恐らく希望的な観測をして、この道は大丈夫、必ず成功すると考え勝ちです。しかし、主のはかりごと、ご計画のみ成就するのです。さらに恐ろしいことは、次のことばです。「人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。」(箴言14:12)
心から主のみこころに従って行きたいですね。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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