礼拝説教

2010年7月25日

「御霊に満たされなさい」
エペソ5:18〜20、ガラテヤ5:16〜26

 恵まれた平均的なクリスチャンの姿は、回りの人たちから見てどのように見えるのでしょうか。いつも温和で、感情の大きな起伏がなく、問題を抱えている人の話に進んで耳を傾け、心のこもった親切なことばをかけ、できる範囲で助けてあげる、というようなプラスの印象を与えているでしょう。確かにその通りで、聖書からもそのように教えられます。

 I. そのような人は御霊に満たされます
 今日のみことばにあるエペソ5:18に関して、ビリー・グラハムはこのようなことを言っています。誰かが酔ったとき、英語ではよくアルコールの“影響下にある”と言うのだそうです。実は聖霊に満たされた人は、聖霊の影響下にある、聖霊の支配下にある人のことを言います。聖霊の満たしとは、アルコールのような数量で量れる一定の量がからだを満たすことではありません。聖霊が私たちを支配し、意のままに導くことを言うのです。この点では、「御霊によって歩む」「御霊に導かれる」「御霊によって生きる」(ガラテヤ5:16、18、25)は、同じ内容の別の表現と考えられます。こういう人は、「肉の欲望を満足させる」(16節)生き方をせず、キリスト・イエスが自分の中心にあって、「自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。」(24節)「御霊に満たされた人」は、恵まれた平均的な人のあるべき姿ですが、初代教会において、ステパノやピリポは、そのような条件をクリアした者として、他の5人の人たちとともに「食卓のことに仕える」ために選ばれました(使徒6:3,5)。

 II. そのような人は御霊の実を結びます
 このように、御霊に満たされた人、聖霊に導かれている人は、肉の欲に勝利して、毎日の生活の中で、「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」という9つの「御霊の実」を豊かに結びます(ガラテヤ5:22〜23)。このような人は、主を第一としている人で、御霊の支配下に置かれ、その結果として「御霊の実」を結ぶのです。この9つの実は、3つずつ3つのグループにまとめられます。「愛、喜び、平安」は、主として私たちの神との関わりの中で、御霊が結ばせてくださる実であり、「寛容、親切、善意」は、主として他人との関わりの中で、御霊が結ばせてくださる実です。最後の「誠実、柔和、自制」は、主として自分自身との関わりの中で、御霊が結ばせてくださる実です。このような“御霊の実”は、キリスト者の成長のあかしであり、“御霊の満たし”とともに、回りの人は認めることができますが、自分では全く感じることはできません。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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