礼拝説教

2010年9月19日

「神へのささげものと霊的祝福」
ピリピ人への手紙 4章10〜23節

 私たちは毎週教会につどい、父なる神と神子イエス・キリストに礼拝をささげています。その礼拝の中で、私たちは献金の時を持ちます。私たちのすべての必要を満たしてくださっている主に感謝して、収入の一部を献金します。それは同時に、私たち自身を主におささげする献身の具体的な現れでもあります。パウロは、このささげものについて、大切なことを教えています。

 I. 神へのささげものは働き人への愛の現れである
 パウロがピリピの町の人々に伝道を開始し、ルデヤとその家族や牢の看守とその家族を中心として教会が建てられて行ったのは、紀元50年頃でした。それから10年経った今、ピリピの教会からエパフロデトが献金を携えて、パウロのところにやって来ました。これは彼らがどんなにパウロを心配してくれているかの現れなので、パウロは大変喜んでいます(10節)。彼らはこの10年間いつもパウロを心にかけていたのでしたが、贈り物をするという機会がなかったのです。ピリピの人たちは、教会発足まもなくの頃、非常に貧しかったのにもかかわらず、マケドニヤ(ピリピやテサロニケはその地方の町)を離れて行ったパウロに贈り物を送って、彼の働きを支え、乏しさを補ったのです(15〜16節)。献金は主へのささげものですが、同時にそれは働き人を支えるもので、主が喜んで受けてくださいます(18節)。今日でも神への献金が牧師や宣教師の働きを支えるのです。

 II. 神にささげる者たちは神から祝福を受ける
 献金はささげると手元のお金が少なくなり、一見乏しくなったように見えます。しかし、ささげた人たちは主から「収支を償わせて余りある霊的祝福を」受けることができるのです(17節)。ささげた人は誰でもその祝福をいただくことができ、その祝福を体験しているはずです。献金は決して、乏しいパウロの生活費を補うために送られるものではありません。パウロは彼らに送ってくれるように求めなかったでしょう(11、17節)。パウロが心から望んだことは、彼らが主にさげものをすることによって、霊的に祝福されることです。また、ささげる人たちの必要も満たされるのです(19節)。主は喜んでささげる人を祝福し、その必要も満たしてくださいます(IIコリント9:6〜8参照)。このように、国内・海外の働き人たちを支えるためにささげる献金は、「香ばしい香りであって、神が喜んで受け入れてくださる供え物です。」(18節)私たちも礼拝において、喜びと感謝をもって主に献金をおささげしましょう。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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