礼拝説教

2010年10月24日

「神はこの世の弱い者を選ばれる」
コリント人への手紙 第一 1章26〜31節

 私たちの回りの多くの教会を見ても、お金持ちや社会的に地位の高い人は、多くはありません。パウロの時代も同じでした。いやむしろ、貧しい人たちが多かったでしょう。それには理由があるのです。パウロの説明を聞きましょう。

 I. 神はこの世の弱い者を選ばれた
 「兄弟たち、あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい」(26節)とパウロは、コリントの教会を例にとって、神はどのような人たちを救いの中に召してくださったのかを考えさせます。全くいないわけではありませんが、選ばれた人たちの多くは、この世の知者ではなく、権力者でもなく、身分の高い人でもなく、この世の愚かな者であり、この世の弱い者でした(26〜27節)。パウロはさらに続けて、神は、この世の取るに足りない者や見下されている者、無に等しい者を選ばれました、と言います(28節)。その理由は、知恵ある者をはずかしめるためであり、強い者をはずかしめるためであり、有るものをない者のようにするためであると言います。確かにこの世の標準では、選ばれないような人たちの方が、尊敬もされ、権力を行使しているでしょう。しかし、神は全く反対に、この世の弱者と言われる人たちを敢えて選んでくださったのです。

II. 選ばれた者が主をのみ誇るためである
 以上のようにこの世ではあまり高く評価されていない者たちが、神の憐れみのよって選ばれたとすれば、彼らは自分自身に関して誇るべきものは何もないことに気がつくはずです。キリスト者は、従って、主をのみ誇るのです(31節)。それこそ神が望んでいることです。「これは、神の御前でだれをも誇らせないためです」(29節)とパウロが言うとおりです。人は教会にきて、神の御前に出て、初めて自分の醜さや汚れ、弱さ、愚かさを知ります。この世で生活している時には、それがわかりません。私たちの目がいつも回りの人たちだけにしか向けられず、上におられる神の所から正しく見ることができないからです。そして自分より優れた人をうらやましく思ったり、自分を卑下したり、時には自分を誇ったりするのです。しかし、召されて、選ばれてキリストのものとされた私たちは、主だけを誇ります。そして、幸いなことにキリストの「義と聖と贖い」にあずかることができるのです(30節)。主を誇り、主に感謝しましょう。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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