礼拝説教

2010年11月7日

「隠された奥義としての神の知恵」
コリント人への手紙 第一 2章6〜13節

 私たちは、主イエスを救い主と信じることによって救われます。イエス・キリストが救い主としてユダヤにお生まれになり、十字架に掛かり、3日目に死人のうちよりよみがえられて、救いのみわざを完成してくださったからです。しかし、このことは、当時の支配者たちはだれひとりとして悟りませんでした。

 I. この世の人は神の奥義を知らない
 ユダヤ人たちは、2000年にわたって、自分たちを救うメシヤの到来を待ち望んでいました。そしてついに今から2000年前に、救い主がお生まれになったのです。しかし、彼らが待ち望んでいたメシヤ像と彼らの前に現れたイエス様は随分違っていました。彼らが到底受け入れられない、「神の国」の王でした。彼らが待ち望んだのは、当時の支配者ローマ人を打ち破って、世界に冠たるユダヤ王国を打ち立ててくれるこの世の王でした。三位一体の神の第二格である主イエスが、神の国の王としてこの世に来られ、人としての生活をされ、十字架と復活のみわざによって人類を救うとされたのは、まさに隠された神の奥義で、神の知恵でした。だから、この世の支配者たちはだれひとりとして悟らなかったのです。「もし悟っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう」とあるとおりです(9節)。このように長い間隠されていて、神がよしとされたとき、明らかにされる真理を「神の奥義」と言います。それは人間の知恵では及びもつかないもので、まさに神が備えてくださった、神の知恵、神の恵みです(9節)。

 II. 御霊を受けた人は神の奥義を悟る
 では、どのようにしてこの奥義を知ることができるでしょうか。神が私たちに御霊によって掲示してくださることによってです。私たちは、神のみこころをどうして知ることができるでしょうか。それは御霊をいただくことによってです。「御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及び」ます(10節)。だから、御霊を受けた私たちは、神が私たちに賜ったもの(神の奥義)を知ることができるのです(12節)。同様に私たちが十字架の救いのメッセージを他の人に伝える時も、人間的な知恵で教えられたことばを用いず、御霊に教えられたことばを使うのです(13節)。主イエスが神の御子、キリストであるとわかり、信じることができる人は幸いです。この世の多くの人は、主イエスの本当の姿を知らず、また知って信じたいとも思わないからです。従って御霊を受けた私たちのすることは、ますます救いの賜物を理解し、御霊によって他の人たちに「隠された奥義としての神の知恵」を知らせることです。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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