礼拝説教

2010年12月5日

「人間と同じようになられた方」
ピリピ人への手紙2章5〜11節

 私たち罪人とは、あまりに清く、高く、遠く隔たっている神が、その尊い御位を捨てて、人として生まれてくださったお方が主イエスです。このアドベントの時期に、私たちは主イエスについてよく知り、信じて、従いたいと思います。

 I. 神の御姿である方が人となられた
 「御姿」は形において示される本質的属性を表します。主は神の御姿・神の形をとっておられる方です。キリストは人として来られる前に、神としてのご本質を持っておられ、それの外部に現れた表現が神の御姿です。また「神のあり方を捨てる」とは神性を捨てることではなく、神と等しい境遇を捨てること、すなわち御位を去って人となることです。御父とともに持っておられた栄光の座から降りて、この世に来られました(ヨハネ17:5参照)。このように主イエスは神というご本質を持ちながら、人としての性質をもってマリヤから生まれてくださいました。当時の人々の多くが、外から見て普通の人間と全く変わらないイエスさまを神として、救い主として信じられなかったのは、不思議でないかも知れません。主イエスは多くの場合神としてのご本質を隠しておられたからです。

 II. 仕える者の姿をとり、十字架の死にまで従われた
 主イエスは完全に人間としてお生まれになり、最初から最後までへりくだって、人に仕えられました。主はご自分の願いではなく、御父のみこころを常に求め、十字架にまで従われました(8節)。そして私たちの罪を、代わりに負ってくださり、十字架にかかって、刑罰を受けてくださいました(IIコリント5:21参照)。私たち人間の身代わりになるためには、神が人とならなければなりません。しかし、罪のない方でなければ、全人類の罪を負うことができません。だから神が人となる必要があったのです。主が御父に最後まで従われた生き方は、私たちの模範でもあります(5節)。こうして御父はこのイエスを高く上げられて、すべての名にまさる名を与えられました(9節)。イエス様を心の中にお迎えし、御名を賛美しましょう。そしてキリストにならって、従順に神に従い、へりくだって人々に仕えましょう。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
静岡県富士市今泉2640-15 TEL&FAX:0545-52-6382