礼拝説教

2011年2月20日

「訴訟問題を考える」
コリント人への手紙 第一 6章1〜11節

 コリントの教会には、様々な問題がありましたが、そのうちの一つは訴訟問題をでした。教会の兄弟姉妹が互いに相手を訴える訴訟問題が起きた場合、事態はそれほど簡単ではありません。彼らの行動に対し、パウロはどう戒め、どう助言したかを学びます。

 I. 兄弟間の訴訟問題を外部の人たちに訴えてよいのか
 コリントの教会の兄弟たちの間に争い事が起きています。具体的な内容はわかりませんが、その問題を教会の内部で解決できず、この世の裁判官に訴えています。この世の裁判官に問題を解決する能力がないと言っているのではありません。しかし彼らは、神様を知らず、イエス・キリストを救い主と信じてないので、罪赦され、義とされていませんから、「正しくない人たち」(1節)なのです。しかも、聖徒たち、すなわちキリスト者たちは、「世界をさばくようになる」(2節)ことや「御使いをもさばくべき者だ」(3節)ということを知らないから、兄弟たちはそのような振る舞いをするのだ、とパウロは言い切っています。また、裁判官は霊的なこと、信仰的なことについては、何も知らないわけですから、教会のうちでは無視されている人たちです。「それなのに、この世のことで争いが起こると、教会では無視される人たちを裁判官に選ぶのですか」(4節)、とパウロは詰問します。それらは、教会の中に争いを仲介すり「賢い者」がいないことを暴露しているようなもので、恥ずかしいことです。

 II. 兄弟たちは、むしろ不正をも甘んじて受けるべきである
 兄弟たちの間での賢い解決法は、賢い者が仲裁することですが、むしろ互いに訴え合うことをせず、不正を甘んじて受けること、むしろだまされているべきだとパウロは言います。そのわけは、「そもそも、互いに訴え合うことが、すでにあなたがたの敗北」(7節)だからです。これは例えば、教会員同士が、隣り合って土地を持っている場合、その地境がはっきりしていないと、自分の方に有利になるように境界線を引こうとするでしょう。自分の土地のほうがより広ければ、それだけ農産物の収穫も増え、家畜の数も多くなり、有利になるはずだからです。しかし、これでは何の解決にもなりません。互いが、自分たちの土地をむしろ削るくらいにして、相手に譲れば、争いはなくなります。互いへの思いやりが真の解決の鍵です。また、兄弟の誰かが貧しい場合、豊かな暮らしをしている人たちは、お金や物を貸すことがあるでしょう。その場合の主のみこころは、それらを相手に上げてしまい、お返しを求めないことです(ルカ6:34,38)。こうしたことは、真のキリスト者になったからこそできることなのです(11節)。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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