礼拝説教

2011年5月1日

「主の恵みを語ろう」
エペソ人への手紙2章1〜10節

 今年度の年間目標は、「主の恵みを語ろう」に決まり、私たちは、それぞれ置かれたところで、親しい人たちに救われた恵みをあかしすることになりました。それはむしろ楽しいつとめです。主イエスが私たちを罪と死から救ってくださったと信じているなら、その救いと救ってくださった方を周りの人に語ることは、むしろ喜びとなるはずです。「恵み」の内容について、エペソの手紙から学びましょう。

 I. 以前の私たちは罪の中に死んでいた
 パウロは「あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって」(1節)という書き出しは、私たちにかなりショッキングな感じを与えます。もちろんこれは、肉体的な死を意味するのではなく、霊的な死を意味します。神を知らず、自分の欲望のままに生きていた時の私たちは、生まれながらに持っていた原罪という罪の性質とその結果外側に現れた罪の行い(罪過)のゆえに、神から離れ、神と交わりのない者たちでした。それを霊的に死んでいたと言うのです。その当時の私たちは、この世の流れに従い、サタンと言われる空中の権威を持つ霊に従って、歩んでいました(2節)。サタンの支配下にあった私たちは、立派なよい生き方をすることができず、自分の欲の中に生きていて、そのままでは神の御怒りを受けるべき子らでした(3節)。つまり神のさばきを受けなければならない運命にあったのです。かつての私たちは霊的な意味で、本当に悲惨な人生を送っていたのです。

 II. 今の私たちは恵みによって救われ、生かされている
 しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいた私たちをキリストとともに生かし、ともによみがえらせ、ともに天の所に座らせてくださいました(4〜6節)。私たちは、キリストの十字架によって罪が赦され、キリストの復活とともに、死からいのちに移されたことを知っています。その十字架を見上げつつ別な表現で、パウロは次のように言います。「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です」(8節)。ここでの「恵みのゆえに」は、5節では「恵みによる」と訳されています。いずれにしても、私たちが救いにあずかることができたのは、主イエスの十字架に表された恵みによるのです。そして、その救いを自分のものとするためには信仰が必要です。ですから「信仰によって」救われたのです、と言うのです。
 このような救いの恵みは、神からの賜物であることを私たちはよく知っています。その恵みを、2011年度、他に人たちに進んで語っていきましょう。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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