礼拝説教

2011年8月7日

「聖霊によってイエスを主と告白する」
コリント人への手紙 第一 12章1〜3節

 私たちのうちの多くは、かつて偶像の宮に引かれて行って、偶像を拝んでいました。神社やお寺に行って、その神社のご神体に手を合わせ、仏像に頭をたれたのです。しかし、ある日ある時、私たちはイエスを主と告白するすことができました。それは、自分の口で、自分の意志で言い表したのです。しかし、その時、同時に聖霊が働いてくださったことを忘れてはなりません。

 I. かつての私たちは悪霊によって偶像の宮に引かれて行った
 コリントの教会の人たちは、かつては異教徒としてギリシャの神々を拝んでいました。それをパウロは「ものを言わない偶像の所」(1節)と言っています。確かに偶像は、多くは人間の手によって造られたので、生きていませんから、ものを言うことができません。当然、食べたり飲んだりさえできません。つまりそれを拝む人間以下なのです。しかし、悪霊によって多くの者は、偶像の宮に引いて行かれるのです。宮には悪霊が働いていますから、決して侮ってはいけません。私は、今泉に来る前に3つの教会で奉仕をさせていただきました。それぞれの教会の回りには、直ぐ近くに多くの神社やお寺があり、偶像の中に教会があると言ったほうがぴったりするほどです。そしてこのような偶像を拝んで来たのは、神の律法にそむく罪を犯して来たことである、と認めるべきなのです。かつてインドネシアの宣教師だった安海靖郎(あつみやすお)師があるインドネシアのクリスチャンの指導者がこう言った、とあかしされました。「偶像礼拝が罪であるとはっきり認めないから、日本人の信仰は弱いのだ」。その通りでしょうか。

 II. 私たちは聖霊によってイエスを主と告白する
 幸いなことに、ある時、私たちはイエスを救い主と信じ、「イエスは主です」(3節)と告白することができました。それは私たち自身の力ではなく、聖霊のお働きによるのです。主の恵みによって、私たちは教会に導かれて、説教を聞き、聖書を読んで、その中の中心的なお方であるイエス・キリストのことがよくわかり、イエスは私の救い主、主と告白することができたのです。従って、同じ聖霊によって「イエスはのろわれよ」と言うことは決してないのです。もし、「イエスはのろわれよ」と言うことがあったなら、それは悪霊によると言わざるを得ません。かつてのパウロ(サウロと呼ばれていました)は、「私は以前は、神を汚す者、迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも信じていないときに、知らないでしたことなので、あわれみを受けたのです」と言っています(Iテモテ1:13)。「イエスは主です」と言う者は、決して「カエサルは主です」とか、「偶像によっても救われる」と言うことはありません。私たちは、今恵みの中にいるのです。ですから、主イエスを信じている者としてどこまでも主に従って行きましょう。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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