礼拝説教

2011年11月13日

「天上のからだ・地上のからだ」
コリント人への手紙 第一 15章35〜49節

 主イエス・キリストが再び来られる(再臨)時、私たち主に属する者は、すでに死んでいる者も、その時生きている者も、みなよみがえります。その時、どういうからだによみがえるのか、誰でも知りたいと思います。コリントの教会の人たちも、それがよくわからないので、パウロにその疑問を投げかけました。パウロの答えは明確でした。

 I. 私たちは地上のからだで生きる
 私たちがこの地上に生を受けて、幼子から少年・少女そして成人へと成長し、与えられた務めを全うして、天に召されて行くことを見るだけでも、非常に不思議な感じを持ちます。私たちが一人ひとり個性を持ち、自分と全く同じ人は一人もいない存在として、生まれ、日々生かされていることは、神が働いてくださっているからであり、主の恵みとご愛を思います。さらに、イエス・キリストの十字架のみわざによって、罪から救われ、義とされて日々歩めることは、感謝せざるを得ません。このように地上に生きる私たちのからだは大切なものです。しかし、それでもこの地上のからだには、限界があるのです。私たちのからだは、パウロが言うように、麦やそのほかの穀物の種と同じように蒔かれて、人間のからだをもって生まれます(36〜39節)。地上のからだの特徴は、朽ちるもの、卑しいもの、弱いもの、血肉のからだ、土で造られたものです。栄光もありますが、天上のものとは比べられません。

 II. 私たちは天上のからだによみがえる
 しかし、やがて私たちのからだは、天上のからだによみがえります。そのからだは、地上のからだとまったく対照的な姿を持ちます。それは、朽ちないもの、栄光あるもの、強いもの、御霊に属するもの、天上のかたちを持つものなのです。この地上に生かされたからだは、みな最初の人アダムから出た者として、彼と同じからだです。しかし、最後のアダム(キリスト)は、生かす御霊となり、天から出た者です。そして、死からよみがえった者は、天からの者として、天から出た者(キリスト)に似たものとなるのです。私たちがどのようなからだによみがえるのかは、すでにキリストがよみがえられたので、そのからだと同じようになることで、納得が行きます。そのからだは、幽霊のような単なる霊のからだではなく、しっかりしたからだを持っています(ルカ24:36〜39節参照)。しかし、もはや朽ちることがなく、栄光のからだなのです。そのようによみがえることを望みつつ、地上の生涯を全うしたいと思います。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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