礼拝説教

2011年12月04日

「愛を教えるために来られた方」
ヨハネ13:34〜35、Iヨハネ4:7〜12

 救い主イエス様がこの世に来られ、人として生まれてくださった最大の目的は、私たちを罪から救い、永遠のいのちを与えるためです。しかしその他に私たちに大切な事柄を教えるためにも来てくださいました。その一つは神の愛を教えてくださることでした。その愛とは何でしょうか。ヨハネの手紙第一から学びましょう。

 I. 主イエスが私たちを愛してくださった
 主イエスは、弟子たちと最後の食事をしておられたとき、弟子たちに最も重要な戒めを与えました。それは、「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13:34)というご命令でした。イエス様は、弟子たちに互いに愛し合うことを命じましたが、その前にご自分が、弟子たちを最初から最後まで愛し通されました。それは日常生活の場におけることばと行いだけでなく、十字架にかかって死んでくださったことによって表された「神の愛」でした。ヨハネは、第1の手紙の中で「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです」(4:10)とその愛を明らかにしています。父なる神がまず私たちを愛してくださった事実を知ることが大切です。その愛をイエス様は弟子たちに、そして私たちすべてに教えられたのです。それは、犠牲的な神の愛なのです。

 II. 私たちも互いに愛し合うべきである
 このような戒めは、十戒に代表される古い戒めに代わる、新しい戒めです。十の戒めではなく、たった一つの戒めです。でも決して易しくはありません。弟子たちが、いがみ合いをなくして、仲良しになればいいと言うのでもありません。主イエスの十字架に示された神の愛ですから、本来の人間にはないものです。でも、主は「互いに愛し合いなさい」と言われました。そのためにはまず、私たちが主イエスから神の愛を受けなければなりません。主はこうも言われました。「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛にとどまりなさい。」(ヨハネ15:9)
この愛は、私たちが主イエスを信じ、主につながり、従って行くとき、救いとともに与えられる御霊の実と言えるでしょう。その愛は最初、どんなに小さくてもやがて大きくなって行くことが期待されます。そのような神の愛を与えられて、弟子たちはやがて互いに愛し合うようになりました(Iヨハネ4:7、11)。今日の私たちにもその愛が与えられるのです。だから、私たちも互いに愛し合いましょう。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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