礼拝説教

2012年6月24日

「生ける水を与える方」
ヨハネの福音書 4章1〜18節

 私たちは、主イエスの救いにあずかった者として、福音をほかの人たちに宣べ伝えることの大切さをよく知っています。でも実際に伝道するとなると、なかなかスムーズに行きません。実はイエス様こそ、個人伝道のエキスパートであり、ひとりの人にご自分のことを知恵をもって語り、その人を救いに導きます。今日の聖書箇所から学びましょう。

 I. イエスは飲む水を求められた
 主イエスは、ユダヤを去って、またガリラヤに行かれました。パリサイ人との摩擦を避けるためだったと思われます。その時、ユダヤ人の通常のルートではなく、サマリヤを通って行かねばなりませんでした。それは、主イエスがサマリヤの女と出会うためであったと考えられます。イエスは長旅の疲れで、スカルにあるヤコブの井戸のかたわらに腰を下ろしておられました。時は第6時ごろ、すなわち今と同じ午後6時ごろでした。そこにひとりのサマリヤの女が水を汲みに来たので、主イエスは「わたしに水を飲ませてください」と言われました(7節)。このことばは女を驚かせました。ユダヤ人は、混血のサマリヤ人を汚れた者とみなして軽蔑し、付き合いをしなかったからです(9節)。しかし、具体的な水から話を始めて、イエスは、ご自分が誰であり、「生ける水」を与えることのできる方であると話して、女の関心を引き出したのです。この点で、主イエスは非常にすぐれた個人伝道者と言えます。個人的な関心から、大切な真理へと導いて行かれるからです。

 II. イエスは生ける水を示された
 サマリヤの女は、この時点ではあくまでも井戸から汲み出す普通の水についての理解しかありません(11節)。「生ける水」と言われても、それがどのようなものであるかわかっていません。それに、イエスはヤコブより偉いとも思っていないようです(12節)。間髪をいれず、主イエスは大切な真理を伝えます。「この水を飲む者はだれでも、また乾きます。しかし、わたしたが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。」(13〜14節)イエスはここで、ご自分が与える水を飲む者は、決して渇くことがない、と言われるのです。これこそ永遠のいのちで、主がご自分を信じる者に与える賜物です。それは、聖霊を受けることでもあることが後でわかります(7:37〜39)。私たちは主エスを神の御子、救い主と信じるならば、聖霊が与えられ、同時に永遠のいのちが与えられるのです。サマリヤの女は、「生ける水」をいただけたでしょうか。そのためには、自分の罪を認めなければなりません(16〜18節)。彼女は巧妙に話題を逸らしてしまいますが、主イエスによって核心部分に導かれます(26節)。私たちも主イエスに見習いたいですね。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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