礼拝説教

2012年9月2日

「永遠のいのちかさばきか」
ヨハネの福音書 5章24〜29節

 人は誰でも平穏無事な生活を求めています。この世にある多くのお寺や神社も人々のニーズに答えようといろいろな努力をしています。それに何らかの力を得たいと思っている人も少なくないようです。いろいろな場所にパワースポットをあると知ると、遠しを物ともせず、出かけて行きます。しかし、聖書が教えている救いは、それらとは随分違ったものです。今日も聖書から学びましょう。

 I. イエスを信じる者は永遠のいのちを持つ
 24節に「わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる」とありますが、これは、主イエスは、御父が遣わした救い主キリストであることを明らかにしています。イエスはこれまでも、そしてこれからもご自分と御父との比類なき関係を教えています。ですから、主イエスを信じることは、御父をも信じることであり、御父が与えるいのちをイエスも与えてることができるのです(21節)。キリスト教と一般に言われていますが、中心は教えではなく、イエス・キリストご自身です。イエスを信じることから、キリスト者の歩みが始まるのです。イエスを信じると、永遠のいのちが与えられますから、さばきに会うことがありません。そして、驚くべきことには、これまでの霊的な死の状態から、いのちへと移っているのです。イエスを信じた瞬間に、死からいのちへ移されました。そして、いのちが与えられた状態がずっと続きます。25節の「死人」も霊的に死んでいる人のことです。イエスのおことばを聞く者は直ちに生きるのです。そしてその時は「今」なのです。

 II. イエスを信じない者はさばかれる
 主イエスは救い主であると同時にさばき主でもあります。27節にあるように(先の22節でも)御父はさばきの権を御子に与えられました。主イエスがやがてさばき主として、この世に来られる日がやって来ます。その時、墓の中にいる者がみな、イエスの大きな声を聞いて(Iテサロニケ4:16,ヨエル2:11参照)、出て来るのです(28節)。イエスを信じて、善を行った者は、よみがえっていのちを受け、イエスを信じないで、悪を行った者は、よみがえってさばきを受けます(29節)。すべての人がよみがえることがわかります。しかし、いのちを受けるか、さばきを受けるかの二者択一であることもわかります。その鍵は、イエスを救い主と信じるか,否かにかかっているのです。イエス様を信じましょう。そして永遠のいのちが約束されているのですから(しかも、何の善行も、何の修行も、何の犠牲も必要ないのです)、そのまま受け取りましょう。そして、キリスト者として、主イエスに従って歩むのです。この世の多くの偶像に頼る必要はありません。パワースポットに行って、力を受ける必要もないのです。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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