礼拝説教

2012年10月14日

「わたしがいのちのパンです」
ヨハネの福音書 6章30〜40節

 主イエスはご自分を紹介するのに「わたしがいのちのパンです」と言われました。これは、イエスが父なる神と同じように、神性を持っておられるから言えることです。もしただの人であるなら、たちまち病人扱いされてしまいます。でも、事実主イエスは神なのです。

 I. イエスは人々に永遠のいのちを与えられる
 ユダヤ人たちは、イエスがなさった大いなる奇蹟を見て、かつて荒野でモーセが行った「天から降らせたマナ」の奇蹟を思い起こしました。彼らは、イエスがなさった奇蹟を見ても、その中にメシヤとしてのしるしを見出さなかったのです。それどころか、モーセと比較してイエスの奇蹟のほうが小さいと思ったようです。だから、イエスを信じるためにモーセの奇蹟よりすぐれた「しるし」を求めたのです(30-31節)。しかし、ユダヤ人たちは誤解していました。荒野でマナを与えたのはモーセではなく、御父であることを。彼らはモーセを尊敬するあまり、聖書のことばを間違って覚えていたようです。イエスはそれを正して32節で言われたのです(出エジプト16:4,13-16参照)。さらに、33節で「神のパンは、天から下って来て、世にいのちを与えるものだからです」とイエスが言われたのを聞いて、彼らは「主よ。いつもそのパンを私たちにお与えください」(34節)と頼みました。35節がイエスのお答えで、ご自身がいのちのパンであることを宣言されました。主イエスはご自分がいのちのパンだからこそ、信じる者に永遠のいのちを与えることができるのです(33,40節)。

 II. イエスを信じる者は決して飢え渇きがない
 35節が明らかに示しているように、イエスに来る者はイエスを信じる者であることがわかります。この「飢える、渇く」はたましいの飢え渇きを指しています。人はたましいの飢え渇きを覚えつつ、毎日の生活を送っています。しかし、イエスのところに来て、イエスを信じると永遠のいのちが与えられて、たましいの奥深くに真の満足が与えられるのです。イエスは信じる者に霊的な糧を与え、養い育てるから、この世のパンを食べたり、水を飲んで一時的な満足を与えられるのと違って、完全に霊的に満足し、その満足がいつまでも続くのです。有名な神学者のアウグスティヌスは、『告白』の冒頭で「あなたは、私たちを、ご自身に向けておつくりになりました。ですから私たちの心は、あなたのうちに憩うまで、安らぎを得ることができないのです」と神に告白しています。若い時に放蕩の限りを尽くしたアウグスティヌスは、母モニカの長年にわたる献身的な祈りに答えるように、ある時イエスを信じて、心の中に真の安らぎを得たのです。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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