礼拝説教

2013年6月30日

「信じない理由・信じる祝福」
ヨハネの福音書10章19〜30節

 今日もそうですが、イエスの時代、イエスを救い主と信じる人と信じない人がいました。信じない人たちには、それぞれに信じない理由があり、一歩先に進むことができないので、せっかく与えられている祝福に預かれません。その人たちと信じられる人たちとのその後の人生は、大きく違ってしまうので、今日に置き換えれば、ぜひ多くの人が救いに入れるように願うばかりです。

 I. 信じない理由
 ユダヤ人たちの中には、イエスがご自分のことを言われると、とても信じられないと言って反発し、「あれは悪霊につかれて気が狂っている。どうしてあなたがたは、あの人の言うことに耳を貸すのか」と言いました(20節)。イエスがこれまでに話して来られたことは、ご自分が「良い牧者」であり、羊のためにいのちを捨てることと、いのちを再び得ることでした。このたとえは彼らには何のことかわからなかったのです。そして「あれは悪霊につかれて気が狂っているのだ」と言ったのです。しかし、別な人たちもいました。十分には分からないが「あれは悪霊につかれた人のことばではない。悪霊がどうして盲人の目を開けることができようか」(21節)と反論しました。しかし、ユダヤ人の指導者たちは、イエスがキリストなら、はっきりそう言いなさいとイエスに迫りました(24節)。それに対するイエスのお答えは25節で言われたとおりです。次いで彼らが信じない理由を言われました。それは「あなたがたがわたしの羊に属していないからです」(25節)ということでした。彼らはイエスの話に耳を傾けて、イエスの囲いの中に入ろうとしない人たちなのです。

 II. 信じる人たちの祝福
 イエスが良い牧者で、イエスを信じる者がイエスの羊であることは、これまでのイエスの話でわかります。イエスは「わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます」(27節)と言われました。ここに改めて、イエスを信じる者とイエスとの信頼関係がはっきりと示されて、私たちに置き換えれば、私たちのことを主イエスは本当に知っていてくださっていると確信できます。私たちがしなければならないことは、イエスにどこまでもついて行くことです。そしてさらにすばらしい約束があります。それは、私たちが一度(ひとたび)イエスを信じたら、永遠のいのちが与えられ、しかも誰もイエスの手から私たちを奪い去るようなことはない、ということです(28節)。さらに、すべてにまさって偉大なお方である御父が、私たちを守ってくださるのです(29節)。この二重の保証があればどんなことがあっても私たちの信仰は守られます。そしてイエスは、非常に大切な真理を明らかにされました。「わたしと父とは一つです」(30節)。その意味を深く味わいましょう。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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