礼拝説教

2013年7月21日

「神の栄光のための病気」
ヨハネの福音書 11章11〜16節

 イエスが愛しておられたベタニヤのラザロが重い病気にかかっていました。ラザロの姉妹たちから遣わされた使いの者によって「あなたが愛しておられる者が病気です」と知らされても、イエスは彼をいやすために出かけて行きませんでした。そこには主ご自身のお考えがあったからです。今日の箇所からさらに主イエスについて学びましょう。

 I. イエスはご自分の計画を持っておられる
 イエスは、マルタたちの願いに直ぐに応えて行動されませんでした。しかし、イエスがマルタ、マリヤ、ラザロの3姉弟を愛しておられたというその事実は少しも変わりません。でもイエスはラザロのいる所へ急行しませんでした。それは、イエスがラザロの病気を通して、神の栄光を現すためだったからです。一般には、イエスがラザロの重い病気を一瞬のうちに癒すことによって、神の栄光を現わされると考えがちですが、イエスのお考えは違っていました。イエスは、ラザロが死んで、4日もたって、臭くなっていることを十分承知に上で、この地にとどまっておられたのです。イエスはこのように今も私たちの祈り、願いに耳を傾けてくださっておられますが、それは、その祈り、願いに直ちに応えてくださることを意味しません。むしろずっと後になって応えられる場合のほうが多いでしょう。いずれにしてもイエスは、ご自分のお考え、ご計画があって、御心のままに行動されることは、昔も今も変わりがありません。私たちは、常に私たちのために最善をなしてくださるイエスに信頼して従っていくだけです。

 II. イエスは人の病気によって栄光を受けられる
 イエスは、結果的には死んで4日たったラザロを生き返らせて、神の栄光を現されました。それは同時に、ラザロの病気を通してご自分が栄光を受けられることを意味します。イエスがこの世に来られたのは、ご自分が神の御子キリストであることをすべての人に知らせ、ご自分を信じることによって、誰でも罪が赦され、永遠のいのちが与えられるためでした。そのお方が神の御子キリストであることを証明するために、イエスは数々の奇蹟を行いました。その一つが多くの人がかかる病のいやしでした。この世では一般的に、人は死ねば終わりです。死には希望がありません。しかし、イエスはラザロを生き返らせて、神の栄光を現し、ご自分は栄光を受けられました(ラザロのよみがえりの意味については次週学びます)。それは私たちがかかる病気についても言えることです。多くの場合、私たちの病は癒されます。しかし、私たちもいつか重い病気にかかり、父の御許に召されるでしょう。そのどちらの場合も、御父の栄光を現すことができると考えられます。私たちが、いつも主を愛し、人を愛し、主に信頼し、最後まで希望を持って生きる生き方が、主の栄光を現すことになるからです。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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