礼拝説教

2013年8月11日

「ラザロのよみがえり」
ヨハネの福音書 11章38〜44節

 私たちは、人は死んだら埋葬され、やがて墓の中で朽ち果ててしまうことを知りながら、同時にキリスト者として希望を持って生きています。私たちのからだが、主イエスの再臨の時に栄光のからだによみがえるという希望です。でも、もし死んでしまった私たちの家族の一人が生き返ったら、これは実にすばらしいことです。イエスはラザロをよみがえらせました。

 I. ラザロのよみがえりの事実
 イエスは、ラザロの死のために泣いているマルタやマリヤやユダヤ人のために、涙を流されました(35節)。同時に霊の憤りと心の動揺を感じました(33,38節)。そしてまたも心のうちに憤りを覚えながら、墓に来られました(38節)。愛する者たちの間を無残にも引き裂いてしまう死という現実とその原因である罪に対して憤られたと思われます。イエスが「石を取りのけなさい」とマルタに言った時、彼女は「主よ。もう臭くなっておりましょう。4日になりますから」(39節)と答えました。40節のイエスのおことばはマルタにどのように響いたでしょうか。具体的にラザロの生き返りを信じることは、とても考えられないので、このイエスのおことばに戸惑ったことでしょう。もちろんイエスがラザロのために何かしてくださるに違いないという希望は持っていたでしょうが。人々が石を取りのけた後で、イエスが言われた41,42節は非常に大切なことで、この後で取り上げます。イエスの大声で叫ばれたおことば「ラザロよ。出て来なさい」(43節)の声を聞いたラザロは、何と埋葬されたままの姿で墓から出て来ました。このラザロのよみがえりという事実に私たちはまず目を止めるべきです。

 II. ラザロのよみがえりの意義
 ラザロは、死から生き返ったという意味でよみがえりました。このようにイエスは、本当に死んだ人をよみがえらせることができるのです。イエスが御父に言われたおことばの中に「この人々が、あなたがわたしをお遣わしになったことを信じるようになるためです」(42節)とありますが、ラザロのよみがえりは、まさにイエスがこのようなお方であることを証明したのです。イエスは御父から遣わされた神の御子、キリストです。御父が持っておられる神としての知識と御力を持っておられるから、すべてを知っておられ、正しく教え、行動することができるのです。そしてその御力を用いて(それは御父がイエスの願いを聞いてくださるという表現と矛盾しません)、ラザロを生き返らせるという奇蹟を行ったのです。それは、イエスが死をも支配することのできることを証明されたことでもあり、「わしはよみがえりです。いのちです」(25節)といわれたことをラザロのよみがえりを通してそのおことばの通りの方であることを証明したのです。イエスは、本福音書全体に当てはまりますが、ご自分が言われた通りのお方であり、そのとおりのことを行うことがおできになるのです。主イエスを心から信じて従って行きましょう。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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