礼拝説教

2014年3月2日

「イエスが与える平安」
ヨハネの福音書14章25〜31節

 恐らく宗教と言われるものは、大なり小なり信仰者に平安を約束するでしょう。「もしあなたがこの宗教を信じるならば、きっと心に平安がが与えられるでしょう」と。この点では、平穏無事ということばを、私たちの周りの多くの人たちは願っていると言えるでしょう。しかし、イエスが与える平安は、この世が与える平安と違うのです。今日もみことばから学びましょう。

 I. 世が与える平安
 手元にある国語辞典によれば、平安とは「無事で穏やかであること」とあります。一般には、何の問題もなく、何の異常もなく、平穏無事である時に、人は平安を感じます。だから、何か問題が起きると、例えば家族の誰かが重い病気になったり、一家の家計を支えてきた主人が失業したり、受験生が試験に失敗したりすると、その家の人たちは平安を失ってしまいます。できるだけ早く、それらの問題が解決することをひたすら願い、神仏に祈願するのです。また、時には問題があるのに、それを直視しないで、ひたすら平安だ平安だと、自分に言い聞かせて、平安を装う人もいるでしょう。実は、旧約時代の宗教教的指導者である預言者や祭司たちは、まことの神への信仰を失い、偽りの預言をしました。このままでは間もなくバビロン軍が攻めてきて、ユダは滅ぼされてしまうのに、現実から目をそむけ、根本問題の偶像崇拝をやめないで、次のように言うのです。「彼らは、わたしの民を手軽にいやし、平安がないのに、『平安だ、平安だ』と言っている」(エレミヤ6:12)のです。それゆえに、彼らは主のさばきに会うのです。

 II. イエスが与える平安
 しかしイエスが与える平安は、この世が与えるものとまったく違います。この世の平安は、何の問題もなく、平穏無事である時に、感じられる心の思いですが、イエスが与える平安は、まさに問題があり、困難がある時、その中で与えられる平安なのです。主は、私たちが親しい人が亡くなり、悲しみと淋しさに沈んでいる時に、その中で私たちを支え、慰め、励ましてくださるお方です。私たちは、苦しい時、悲しい時、主に助けて下さいと叫びます。苦しみ悲しみを直ちに取り去ってくださいとは祈らないでしょう。そうではなく、主はそのような中にいる私たちにみことばをもって、また聖霊のご臨在によって、慰め励ましてくださるのです。そしてそこに主イエスの平安があるのです。イエスは、これから愛する弟子たちの前から去って、御父のみもとへ行かれます。イエスは彼らにいわば遺言のように「わたしの平安」を残し、与えるのです。このように私たちが人生の荒波にもまれて、沈みそうになった時に、主の平安を与えてくださるのです。だから、私たちは心を騒がせることなく、恐れることもないのです。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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