礼拝説教
2004年4月25日
「皆で建て上げる教会」
エペソ4:11-16
 皆さんが初めて教会に行かれた時、もしそこに牧師と言われる先生がおられなかったら、いったいこの教会はどうしたのだろう、と不思議に思うに違いありません。教会に牧師がいて、信徒がいるのはきわめて自然のようです。

 教会の構成メンバーをもう少し詳しく見て行きましょう。エペソ4:11-12にこう書いてあります。「こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、あ る人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、」 ここに記された、いわば教職者といわれる、使徒、預言者、伝道者、牧師また教師は、キリストご自身が目的をもって教会に立ててくださったから存在するのであって、教会の歴史の中で、必要に応じてだんだんと生じて来たのでないことに、注意しなければなりません。ただこの中で、初代教会において主としてその役割を果 たし終えて、今日その本来の意味では存在しない人たちが、使徒、預言者と伝道者で、今日でもその働きを続けているのが、牧師・教師と言えます。彼らが立てられた目的は、「聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるため」です。教職者たちは、この目的のために賜物を分け与えられた聖徒たちを整える、すなわち教育・指導し、賜物を生かした奉仕ができるように努めなければなりません。

 こうして、教職者をも含めて、信徒たちが具体的な奉仕の働きをしていき、次第次第に教会が建て上がって行くのです。「建て上げる」ということば、ギリシャ語でオイコドメオーと言いますが、この言葉には、建物を「建てる」という意味と、「徳を高める」の意味があります。教会を建て上げるとは、従って、すぐれて霊的な概念であって、聖徒たちの霊的成長である、と言えるのです。エペソ4:13は、教会の目的の最終段階・到達点ですが、こう書いてあります。「ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。」この段階こそすべてのキリスト者の目指す目標であり、教会の目的にほかなりません。私たちは、この目標を目指して、日々努めて行きましょう。
  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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