2004年5月23日 |
「教会における一人一人の働き」 |
Iコリント12:4-26 |
エペソ人への手紙によれば、教会はキリストのからだであり、かしらはキリストであることがわかります(1:22-23)。そして私たちはキリストのからだの部分です(5:30)。今日学ぶ・コリント人への手紙12章でも、「あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです」と言っています(27節)。私たちが「イエスは主です」(3節)と告白できたとき、聖霊が与えられ、私たちはキリストのからだの一部とされます。
私たちが初めて受ける聖霊を特に「聖霊のバプテスマ」と呼び、聖霊のバプテスマによってキリストのからだの器官の一部に加えられます。キリストのからだの一部とされた私たちは、水のバプテスマを受けて、地域教会の一員とされます。すでに洗礼を受けておられる方は、目に見えないキリストのからだである教会の一員であり、同時に目に見える地域教会の一員でもあります。
キリストは一つですが、からだに多くの器官があるように、私たちは教会の中で様々な働きをする器官なのです。「今日のみことば」にあるとおりです(12節)。からだの器官が一つではなく、様々な器官から成り立っているように、教会での働きも様々です。その働きは、主によって私たちに与えられた賜物による働きです。主イエスは、ペンテコステ以来、御父から聖霊を受けて、信じるすべての者に聖霊を与えてくださいます(使徒2:33)。主イエスはご自分の弟子たち、すなわち私たちに聖霊の働きの一つである御霊の賜物を別
々に分け与えてくださるのです。賜物には、「知恵のことば」、「知識のことば」(8節)など聖書のみことばの正しい理解と宣教に関するものや特に際立った「信仰」、「いやしの賜物」、「奇蹟を行う力」(9-10節)など特別
な賜物があります。しかし同時に教会のなくてはならない働きとして「使徒」、「預言者」、「教師」や「助ける者」、「治める者」(28-29節)などの日常的で管
理的な賜物もあるのです。
賜物は私たちの個人的な願いによって与えられる、というより「みなの益となるように」「みこころのままに」与えられるのです(7,11,18節)。私たち一人一人に与えられている賜物は何であるのか、しばらく立ち止まって考えることが大切です。 |
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