2004年6月6日 |
「教会の交わりの祝福」 |
Iコリント12:12-26 |
私たちが教会に集うのは、第一に礼拝をささげるためです。毎週礼拝をおささげすることはクリスチャンの特権であり、つとめであります。また礼拝を中心としながら私たちはさまざまな奉仕をします。そのような奉仕がなければ教会は成り立っていきません。その奉仕は、キリストのからだである教会の各器官としての私たちに与えられた、賜物と重荷(使命)によって自発的になされるものですが、それもクリスチャンの特権であり、つとめであります。
でももう一つ大切なことがあります。それはクリスチャン同士の交わりです。教会に来て、兄弟姉妹と楽しい交わりが得られたとき、私たちはまた教会に行きたいと思うでしょう。そのような交わりは教会の外では得られない、心の奥深いところでの満足を与えるすばらしい交わりです。私たちは皆そのような交わりを求めています。
クリスチャンの交わりは、キリストのからだである教会の各器官、各部分の間での交わりです。各器官、各部分は互いになくてはならない存在であって、私たちは互いに他の器官を必要としています。各器官はからだの中でそれぞれの働きをしていますが、全体として調和が取れ、互いのために、益となっています。私たちは、いつも他の器官に対して無関心であってはなりません。私たちはいつも他の人たちが働きやすいように配慮し合ったり、どこか傷付いていたり、病んでいたら、自分自身の痛み、苦しみと受け取らなければなりません。私たちはひとつのからだの各部分だからです。他の人の喜びは私の喜びであり、他の人の幸せは私の幸せなのです。「今日のみことば」にある通
りです。
でも現実はなかなかそのようにはなっていません。それは教会の兄弟姉妹の交わりの本当のあり方を理解していないからと考えられます。兄弟姉妹の交わりの特徴は何でしょうか。以上の他に次のことがあります。
第1に、私たちはみな、イエス・キリストを救い主として信じている、互いに平等な人格を持ったクリスチャンの集まりです。そこには男女の別
、職業や社会的地位の違いは関係がありません。
第2に、私たちは互いに自立している者たちの集まりです。受けるより与える方が幸いであると、信じ、実践しているとき真の喜びを感じるのです。その反対は教会の中に「甘え」を持ち込むことです。
今朝はこの2つのことを考えてみましょう。 |
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