2004年6月13日 |
「礼拝の祝福」 |
ヨハネ4:19-26 |
私たちは毎週教会に集まって、礼拝をささげています。私たちがどのような心・態度で礼拝をおささげすれば、主はその礼拝を喜んでくださり、受け入れてくださるのでしょうか。そんなに多くはないでしょうが、中には礼拝の中心は説教なので、説教だけを聞いて恵まれ、1週間の心の糧となればいいと思っている人たちがいます。確かに説教を正しく聞くことは、とても大切なことです。私たちはみことばの正しい解き明かしによって、主のみこころを知り、みことばに生き、みことばを毎日の生活に摘用して生きて行きます。でも、礼拝は説教だけで成り立っているのではありません。
礼拝順序の初めから最後まで一つ一つのプログラムがみな大切です。機会があったらじっくりと礼拝順序の学びをしたいと思います。
今日はまことの神様にどのようなこころ・態度で礼拝したらよいのかを主イエスの教えから学びましょう。
I. 霊によって礼拝する
神は霊的な存在だから、礼拝の対象物を作ったり、場所を限定して礼拝するようなお方ではありません。長い間、ユダヤ人とサマリヤ人は礼拝の場所をめぐって論争して来ました。ユダヤ人は聖なる都エルサレムに神殿を建て、そこで礼拝を守ることが一番大切だと主張して来ました。一方サマリヤ人はこのスカルの町の近くにあるゲリジム山で礼拝を守って来ました(20節)。しかし今や、エルサレムでもなく、ゲルジム山でもないところで礼拝する時がやって来ました。それは主イエスと共に始まったのです(21,23節)。また霊によって礼拝するとは、聖霊によって新しくされた者として聖霊に導かれて礼拝することと考えられます。
II. まことによって礼拝する
主イエスはご自身が真理のお方、まことに満ちておられるお方だから、そのお方と父なる神を礼拝するにふさわしく、真心から畏敬の念をもって礼拝しなければなりません。また聖書の中に啓示された神に関する知識と完全に調和した、畏敬をもって心から礼拝しなければなりません。私たちは知らないで礼拝しているのではなく、礼拝するお方を知って礼拝しているのです(22節)。天地万物を創造し、私たち人間を造り、罪から贖ってくださった父なる神と主イエス・キリストを心から賛美し、礼拝しましょう。 |
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